江戸川八十八ヶ所巡拝 中金杉の広徳寺(天保期の88番?)

(令和4年5月6日その8)
江戸川八十八ヶ所巡拝、鰭ヶ崎の雷神社(44番)&横須賀の正福寺(38番&74番)の次は、中金杉の広徳寺(天保期の88番?)に参ります。なお、広徳寺は、現行の江戸川八十八ヶ所の札所ではありません。
正福寺の前の道を右(西)に出て、直ぐの十字路を右折します。その先、川と線路に突き当りますので左折し、直ぐの人道橋を右折して渡ります。そこからはしばらく直進して、突き当りの通りを右折、次の大金平五丁目交差点、

松戸市大金平五丁目交差点
松戸市大金平五丁目交差点
ここを左折して坂を上ります。やがて、道が左にカーブし始め、大谷口からの道が右から来る三叉路の、左手に広徳寺の参道があります。
広徳寺参道
広徳寺参道

広徳寺

曹洞宗、廣徳寺、松戸市中金杉4丁目3番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
江戸川八十八ヶ所天保期の88番か。
参道真直ぐ行くと本堂、参道入って直ぐ左に新四国八十八ヶ所の標識石塔、その(左)先の墓地の中に高城氏の墓があり、参道中程右側に新しい説明板が本堂を向いて建っています。
参道に入らずに坂道を少し上ると、左手に階段の無い出入口がありますので、そこから入ってみますと、古い説明板があります。

古い説明板

広徳寺の古い説明板
広徳寺の古い説明板
これに拠れば、開創は寛正3年(1462年)3月8日、本尊は釈迦牟尼仏、山号は金竜山、開基は高城下野守胤吉(永禄8年(1565年)2月12日没)とのことです。

境内

広徳寺境内
広徳寺境内
広徳寺境内スナップ
広徳寺境内スナップ
オートフォーカス難しい。

本堂

広徳寺本堂
広徳寺本堂

新しい説明板

広徳寺の新しい説明板
広徳寺の新しい説明板

参道階段上

広徳寺参道階段上
広徳寺参道階段上

新四国八十八ヶ所標識塔

広徳寺新四国八十八ヶ所標識塔正面左面
広徳寺新四国八十八ヶ所標識塔正面左面
広徳寺新四国八十八ヶ所標識塔正面右面
広徳寺新四国八十八ヶ所標識塔正面右面
標識塔の正面中央「新四國八十八ヶ所廣徳寺」、正面右「第八十八番大窪寺写中金杉村」、右面「天保四〓巳四月」とあります。(天保4年=1833年) 何らかの八十八ヶ所88番だというのは明らかですが、当時の江戸川八十八ヶ所なのかは、確証はありませんが、可能性はあると思います。
なお、大師堂は見当たりませんでした。

高城氏の墓所

標識塔の右後ろに、高城氏の墓所についての説明板があります。

高城氏の墓所説明板
高城氏の墓所説明板
この写真、説明板の右後方に高城氏の墓所への階段があります。
高城氏の墓所
高城氏の墓所
高城氏の墓石
高城氏の墓石
墓石の正面は、右から順に「二階堂山城守胤行一男」、「下總國小金城主」、「高城治部大夫胤忠」、「高城下野守胤吉」、「高城越前守胤廣」、最後に「代々墓」とあります。

次回は、中金杉の医王寺(76番)

次回は、中金杉の医王寺(76番)に参ります。広徳寺前の道を左折して坂を上ります。