(令和4年4月17日その2)
松戸市内、旧の明村とその近辺の大師堂廻り、三郷市鷹野の円福寺&松戸市古ヶ崎の円勝寺の次は、樋野口の大乗院、続けて、松戸の来迎寺に参ります。(なお、来迎寺は、旧の明村では無く、旧の松戸町です。)
円勝寺の参道を戻って右折して、と思ったら一方通行が見えているので、方針変更してまたすぐ右折して道なりに進み、江戸川まで出て左折します。次の角が、江戸川左岸の古ヶ崎と樋野口の境になります。実はこのあたり、 古ヶ崎と樋野口の間は、江戸川の元の河道になります。この角は曲がらず、横断歩道のある角まで進まず、その間の角を左折します。しばらく進むと、右手に、女体神社、間に道路を挟んで、大乗院が現れます。女体神社も大乗院も、周囲より少し小高くなっているのは、旧河道の(自然)堤防上にあるからでしょうか。
女体神社
女体神社、松戸市樋野口876番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
大乗院
真言宗豊山派、大乘院、松戸市樋野口880番地。(千葉県の宗教法人名簿より)参道真直ぐに本堂、本堂の左に大師堂があります。
古い庚申塔と新しい記念塔
入口右に、古い庚申塔が4ヶ、その前に新しい記念塔があります。庚申塔に刻まれた年月は、手前から順に「元禄十五壬午天八月上旬」(元禄15年=1702年)、「享和二壬戌二月吉日」(享和2年=1802年)、「文化十三丙子年十一月中旬」(文化13年=1816年)、「文政六癸未年」(文政6年=1823年)です。記念塔は昭和59年(1984年)のものですが、そこには「女躰山長命寺大乘院」とあるので、山号寺号が女体山長命寺だとわかります。山号からして、元々は隣接する女体神社の別当寺だったと思われます。
本堂
大師堂
ちゃんとした建物になっている大師堂の右前に、屋根だけがかかっている大師像があります。その正面に「第十三番」、台座に「樋野口中」、右面に「明治四十三年八月二十一日」とあります。(明治43年=1910年) さて、この13番とは何を指すのか。
それでは、来迎寺に参ります。大乗院の前の道を左(南東)に進み、右折・左折して、しばらく進みます。樋野口交差点は直進して橋を渡ったら、右折・左折・右折して細い道に入り、しばらくして、前方に平潟神社、その左に来迎寺が現れます。
平潟神社
平潟神社、松戸市松戸2166番地。(千葉県の宗教法人名簿より)鳥居の額には「水神社」とあります。
来迎寺
浄土宗、来迎寺、松戸市松戸2175番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
松戸二十一ヶ所13番。大師堂は見当たりません。ここが松戸二十一ヶ所の13番というのは、松戸市のサイトの記述に依ります。
www.city.matsudo.chiba.jp
松戸市のサイトの写真と比較すると、来迎寺は改築されたようですね。
大師堂改築記念碑
さて、平潟神社の右に、こんなコーナーがあります。ここに、土台ごと引き抜かれた「弘法大師壹千百年御遠忌大師堂改築記念碑」があります。ですので、この付近に、それなりに立派な大師堂があったことは確実です。そして、その奥にある、板で囲われた瓦屋根のお堂がとても気になります。因みに、弘法大師空海の1100年忌は1934年(昭和9年)になります。
次回は、香取稲荷神社と正真寺
次回は、栄町の香取稲荷神社と正真寺に参ります。とりあえず来た道を戻ります。