下総四郡大師巡拝 松竜寺(49番)

(令和4年4月9日その3)
下総四郡大師の巡拝、慈眼寺(55番)の次は、松竜寺(49番)に参ります。
慈眼寺前の坂川に架かっている橋の、ひとつ北の橋が、松竜寺参道になっています。この参道は、江戸時代の水戸街道(現 千葉県道5号線)まで延びています。

水戸街道から松竜寺参道
水戸街道から松竜寺参道
坂川右岸から松竜寺参道
坂川右岸から松竜寺参道

松竜寺

浄土宗、松龍寺、松戸市松戸1505番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師49番。

49番標識塔

坂川の左岸(東側)参道の右に、49番標識塔があります。

49番標識塔正面左面
49番標識塔正面左面
49番標識塔左面背面
49番標識塔左面背面
標識塔の正面の右「四國八拾八所第四拾九番」、正面の中央「伊豫国浄土寺摸」、左面「文化五戊辰年」とあります。(文化5年=1808年)

山門

松竜寺山門
松竜寺山門
山号は広大山。山門の右に松竜寺の由来の碑が、その碑の陰に山門についての説明板があります。
松竜寺山門説明板
松竜寺山門説明板
山門は江戸時代後期の建築ですが、最近に修理されたパーツが目立ちます。

松竜寺の由来の碑

松竜寺の由来の碑
松竜寺の由来の碑
これによれば、開基は高木正次、建立は慶長18年(1613年)12月、落慶は元和元年(1615年)2月、高木正勝の時の元和7年2月現在地に移転、将軍の小金原中野牧での鹿狩の際の休息所になる(例:享保10年(1725年)3月27日吉宗、寛政7年(1795年)3月5日家斉、嘉永2年(1849年)3月18日家慶など)。なお、碑文には元和元年2月とありますが、慶長から元和への改元は7月です。

境内

松竜寺境内
松竜寺境内
山門から真直ぐに進むと本堂、その左に観音堂、右に鐘楼、山門入ってすぐ右に大師堂があります。

本堂

松竜寺本堂
松竜寺本堂

観音堂

松竜寺観音堂
松竜寺観音堂

大師堂

松竜寺大師堂
松竜寺大師堂

鐘楼

松竜寺鐘楼
松竜寺鐘楼
こちらの鐘楼、周りに多数の石仏を配していますが、そのほとんどが大師像です。大師巡拝者としては、気になります。
松竜寺鐘楼下南側の東
松竜寺鐘楼下南側の東
南側の右(東)に、南向き・南東向き大師像4体。
松竜寺鐘楼下東側の南
松竜寺鐘楼下東側の南
松竜寺鐘楼下東側の北
松竜寺鐘楼下東側の北
東側は、大師像6体に不動明王?像1体。
松竜寺鐘楼下北側の東
松竜寺鐘楼下北側の東
松竜寺鐘楼下北側の西
松竜寺鐘楼下北側の西
北側は、修行大師?像1体、大師像7体に地蔵菩薩?像1体。
松竜寺鐘楼下西側の北
松竜寺鐘楼下西側の北
松竜寺鐘楼下西側の中
松竜寺鐘楼下西側の中
松竜寺鐘楼下西側の南
松竜寺鐘楼下西側の南
西側は、大師像12体。
松竜寺鐘楼下南側の西
松竜寺鐘楼下南側の西
南側の左(西)に、南向き・南西向き大師像4体。

次回は、宝光院(54番)

次回は、宝光院(54番)に参ります。松竜寺の参道を水戸街道まで戻り、右折(北行)します。あるいは、坂川沿いに進んで水戸街道に出たら、右折(北行)します。