(令和4年2月18日その5)
下総四郡大師と葛飾大師の巡拝、不動院(下総四郡大師28番、葛飾大師9番&28番)&最勝院(葛飾大師81番)&専修院(葛飾大師80番)&浄勝寺(葛飾大師77番)の次は、地蔵院(下総四郡大師33番、葛飾大師33番)、続いて、海神念仏堂(葛飾大師68番)です。
浄勝寺から西に延びる小径を行きます。道なりに進むと、旧街道と合流します。その合流地点に、西向地蔵尊があります。
西向地蔵尊
船橋市本町2丁目23。(の北端)何体もの地蔵像がありますが、お堂の南側の一角には、大師像が祀られています。葛飾大師の札所だった可能性があります。
さて、旧街道をまた西にしばらく進むと、JR総武本線を跨線する手前、左側に地蔵院があります。
地蔵院
船橋市海神1丁目21-22。
下総四郡大師33番。
葛飾大師33番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)
上記の住所では、千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。調べたところ、別院の住所で登録されているようです。
真言宗豊山派、地蔵院、市川市柏井町1丁目2214番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
その調査の過程で、地蔵院のWebサイトを発見しました。
funabashi-jizouin.com
本堂
本堂の左前に、複数の地蔵尊像や子安像に混じって、33番標識塔があります。
33番標識塔
標識塔の右面「准四國丗三番土州保〓山寫」、左面「勝軍山地蔵院文化七庚午天四月」とあります。(文化7年=1810年)
なお、大師堂は見当たりませんでした。
それでは、次の海神念仏堂に参ります。地蔵院を出て左折(西行)し、跨線橋は渡らずに左側側道に入って左カーブすると、左手に「海神念佛堂」の看板が出ます。ここを左折で、海神念仏堂境内の観音堂が見えます。
海神念仏堂
船橋市海神1丁目17-18。
葛飾大師68番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)境内東側に観音堂、西側に念仏堂、その間に68番大師堂があります。
元禄七年銘道標
観音堂の左前、道路向きに、元禄七年銘道標があります。「右いち川みち」、「左行とくみち」と大きく彫られています。説明板によれば、元禄7年(1694年)10月26日の銘がある、船橋市内最古の道標で、もとは、先ほどの跨線橋の下、市川と行徳との分岐点にあったそうです。
観音堂
説明板によれば、この観音堂は、元禄14年(1701年)に、江戸は神田鍋町の高麗屋佐次右衛門が建立寄進したものだそうです。
念仏堂
説明板によれば、念仏堂内の木造阿弥陀如来立像は、平安時代末期前後の作で、他の場所にあったものを高麗屋佐次右衛門が念仏堂に納めたとのことです。木造阿弥陀如来立像は船橋市の指定文化財です。
www.city.funabashi.lg.jp
68番大師堂と標識塔
大師堂の左脇に、68番標識塔があります。標識塔の左面に「六十八番」とだけあります。
次回は、大覚院(36番)
次回は、地蔵院(36番)に参ります。念仏堂の左側から、国道14号線の跨線橋に上がって、JR総武本線の反対側に移動します。