吉橋組大師巡拝 吉祥院跡(釈迦堂)(1番)

(令和4年1月18日その3)

吉橋組大師巡拝、貞福寺(20番)の次は、吉祥院跡(釈迦堂)(1番)です。

吉祥院跡(釈迦堂)(1番)

貞福寺参道坂下から約220mで、道の左手に1番大師堂が現れます。

下総四郡大師1番、吉橋組大師1番です。

1番大師堂

1番大師堂

1番大師堂

ここは廃寺となった吉祥院の跡です。「史談八千代 第40号」(2015)によれば、吉祥院は、『真言宗豊山派である貞福寺の門徒寺』で、山号は香取山、標識塔には毘沙門寺吉祥院と記され、『境内にあった毘沙門堂は第63番の札所であった。63番の札所は明治末期には桑橋に移転』とのことです。

石塔(1番札所標識塔)

大師堂前の階段脇に在る石塔(標識塔)は昭和50年(1975年)のものですが、大師堂の左側に、もっと古い石塔(標識塔)があります。

1番札所標識塔 前面左面

1番札所標識塔 前面左面

1番札所標識塔 背面右面

1番札所標識塔 背面右面

塔の前面中央に「本尊釋迦牟尼如来」、左面に「四国霊場第一番阿州霊山寺写」、背面中央に「文化六己巳年十一月吉日」、背面右に「吉橋村毘沙門寺吉祥院」とあります。(一部、自分では読めない所を前述の「史談八千代」で補いました。文化6年=1809年。)

存秀法印墓

大師堂の右側に、昭和49年(1974年)に建てられた存秀法印のお墓があります。これは貞福寺境内にあるお墓の形状を模したものですが、文言が異なります。

存秀法印墓 前面右面

存秀法印墓 前面右面

存秀法印墓 背面右面

存秀法印墓 背面右面

1番大師堂と尾崎公会堂

大師堂の階段を下りて左に進み、振り返った所の写真です。

1番大師堂と尾崎公会堂

1番大師堂と尾崎公会堂

カーブミラーの後ろが1番大師堂、その向い(写真左)の建物が尾崎公会堂です。大師堂と尾崎公会堂の間を直進(やや左)に進むと貞福寺や来福院(16番)、この写真の右の道を行くと勢至堂(52番)、写真手前(撮影者の背中側)に進むと薬師堂(堀込堂)(88番)です。

なお、1番大師堂の住所は千葉県八千代市吉橋724番地(枝番は不明)、尾崎公会堂は同722番地ですが、Googleマップで住所検索しても、ピタリ一致はしません。

次回は薬師堂(堀込堂)(88番)

次の札所は88番、薬師堂(堀込堂)です。