吉橋組大師巡拝 勢至堂(52番)&虚空蔵堂(33番)

(令和4年1月18日その5)

吉橋組大師巡拝、薬師堂(堀込堂)(88番)の次は、勢至堂(52番)、続けて、虚空蔵堂(33番)です。

勢至堂(52番)

堀込堂から1番大師堂・尾崎公会堂そばの三叉路まで戻り、三叉路を右に進みます。そこから道なりに約750m行くと、県道61号線と交差する十字路に出ます。

県道61号線との交差点

県道61号線との交差点

この時点で、前方向にチラと見えている白い建物が、寺台公会堂です。勢至堂(の大師堂)は、公会堂の敷地内にあります。交差点から公会堂まで約200mです。

なお、この交差点、県道が左から右へ、真直ぐ桑納川を渡って桑橋地区に入りますが、昭和前期までは、左から来た道は直進せず、ここで斜め右、この写真手前の方向に曲がっていました。その古道は、今よりも下流の所で桑納川を越え、薬師堂(63番)の近くまで行っていたのです。

さて、交差点を進み、公会堂の直前の三叉路は左、公会堂の表側まで進みます。

寺台公会堂

寺台公会堂

公会堂の三叉路側敷地内に、勢至堂の52番大師堂があります。

52番大師堂

52番大師堂

ちなみに、写真左側の遠景、緑の屋根の建物が、安養院(2番&68番)です。

大師堂の右後方に、石塔(52番標識塔)があります。

52番標識塔

52番標識塔

標識塔の右面は「天保三辰年二月吉日」 とあります(天保3年=1832年)。正面は一部剥落がありますが、「四國五拾二番」でしょうか。

「史談八千代 第40号」(2015)によれば、ここには昔、西光庵という貞福寺(20番)の末庵があって、勢至菩薩を安置していたそうです。

虚空蔵堂(33番)

さて、寺台公会堂の前の道をそのまま西へ進みます。約250mで道なりに左へ曲がり、更に約200m先の交差点を右折します。県立八千代西高校を左に見ながら緩い坂を下り、上りになったあたり、右折地点から約500mで、右側に虚空蔵堂の大師堂が表れます。

道路右側の石碑の陰に33番大師堂

道路右側の石碑の陰に33番大師堂

33番大師堂と高本農業協同館

33番大師堂と高本農業協同館

大師堂の奥には高本農業協同館があります。

33番大師堂と標識塔

33番大師堂と標識塔

33番札所標識塔

33番札所標識塔

大師堂の隣には標識塔(兼供養塔)があります。その正面には「新四國八十八」「三十三番」「土佐國幸福寺」、右面に「文政十一子天」などと記されています(文政11年=1828年)。幸福寺というのは、本家四国八十八ヶ所33番の雪蹊寺の古称「高福寺」を示すものです。

前述の「史談八千代」によれば、虚空蔵堂は貞福寺の境外堂だったそうです。

次回は安養院(2番&68番)

これで、旧吉橋村の現役札所6ヶ所を廻り終えました。次は、吉橋の北隣、旧桑橋村の、2番と68番札所、安養院です。一旦、寺台公会堂まで戻ります。