(令和6年10月22日その7)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、中川の水神社&65番大師堂などの次は、中川の西蔵院(14番&61番&64番)、続けて、上岩橋の大鷲神社などに参ります。
酒々井町中川の旧街道屈曲丁字路から西へ、酒々井町消防団第8分団倉庫前を通って左の、西蔵院前へ出ました。写真左端の建物が消防団倉庫です。
中川の西蔵院
真言宗智山派、西蔵院、印旛郡酒々井町中川339番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
14番&61番&64番大師堂あり。
境内右手の石仏と手水鉢
境内右手の墓地の前に、石仏と手水鉢です。手水鉢正面の中央「奉納御寳前」、右「寛政十戊午十一月吉」、左「新堀…當氏 願主…」。(寛政10年=1798年) 新堀とは、酒々井(村)字新堀、今の酒々井町酒々井の京成本線沿いからすぐ南の辺りでしょうか。
緒堂
たぶん一番大きな建物が本堂、その左に少し小さなお堂、さらに左には大師堂があります。
14番&61番&64番大師堂
扁額は説明板になっています。そして御詠歌額は堂内です。大師堂のさらに左には、六地蔵や石祠などが纏められています。
境内左手の六地蔵と祠群
下の写真で右端の祠の中には浅間大神の石祠があり、そこから左に、「…大権現」の板碑、たぶん「天神宮」、「愛宕神社」の石祠です。
なお、本記事執筆時点で、ここ西蔵院と、酒々井宿の勝蔵院、酒々井宿の円福院、本佐倉の吉祥寺(六崎組十善講23番)で、代表役員の方の氏名が同じです。
ここまでで退出して、次へ参ります。消防団倉庫前から東に進んで、旧街道との丁字路も直進して、旧街道に復帰しました。ここから旧街道は左に緩くカーブして、小さな水路を渡りましたが、この水路が中川と上岩橋(かみいわはし)の境界だったようです。
すぐに突き当たり丁字路となります。旧街道は右折で、すぐに左に曲がってから、国道51号に合流します。今日は、旧街道はここまでです。
先ほどの丁字路を逆方向(西)に進むと、すぐに左手に卜ヶ崎自治会館です。
卜ヶ崎自治会館
卜ヶ崎(ぼっけさき)は、この辺りの小字でしょう。
そのまま、この細道を進みますと、こちらもすぐに右カーブして北を目指します。そして、京成本線の踏切に出ました。この踏切の向こう側左に、鳥居が見えましたので、そちらに参ります。踏切渡って左に入ります。
上岩橋の大鷲神社
大鷲神社、印旛郡酒々井町上岩橋265番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
鳥居
鳥居の左を舗装道が延びています。神額は「大鷲神社」。大鷲は、この辺りの小字でもあります。
境内
鳥居の先に常夜灯がひとつだけありました。
常夜灯
だいぶ剥離していますが、常夜灯の北側( 写真の右側 )の面「文政十一戊子 六」。(文政11年=1828年)
酒々井町の標識
境内横(南側)の道路から北に折れると、まず酒々井町の標識です。
庚申塔
続いて、左手に庚申塔。その右「享保元年申十月吉日」、左「敬白上岩橋村同行」。(享保元年=1716年)
参道
短い参道の、左に手水鉢、また左に境内社への分岐、そして階段の先に拝殿です。
手水鉢
手水鉢正面の中央「奉納」、右「寛政十一己未十一月吉日」、左「氏子女人講中」。
境内社(拝殿左下)
拝殿
境内社(社殿右側)
拝殿から右へ。
本殿
境内社(拝殿左側)
拝殿左側は余裕がない。
眺望
拝殿左側からの眺望、開けてはいませんが、手前の道路は千葉県道137号宗吾酒々井線、奥には印旛沼干拓地の向こうに順天堂大学が見えます。
県道側境内の北に、大鷲自治会館があります。
大鷲自治会館
帰宅
雲行きが怪しく、富里市では雨らしいので、この日はここまでとしました。
本日は明治22年旧佐倉町、本佐倉、酒々井宿から中川、上岩橋西部を巡り、宗教法人名簿に記載のある神社4ヶ所に寺院2ヶ所、記載のない神社・祠2ヶ所、大師堂は3ヶ所に参りました。