(令和6年11月23日その1)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、印旛郡酒々井町の地域探訪は馬橋の金刀比羅神社&佐倉市上勝田の八坂神社などにていちおう終了いたしました。本日からは、富里市のうち高崎川流域の地域探訪を行います。
富里市について
富里市の前身は、明治22年(1889年)に成立した印旛郡富里村である。この富里村は、
- (佐倉牧の)内野牧から成立した七栄村。広い。
- (佐倉牧の)高野牧から成立した十倉村( 現在の富里市御料を含む )。もっと広い。
- 七栄村の北東側、十倉村の北側で、十倉村から流れる根木名川の左岸(南西側)の村々。上流から順に、根木名村、大和村、久能村、日吉倉村( 現在の富里市日吉台を含む )。
- 七栄村の南側、十倉村の北西側で、十倉村から流れる高崎川流域の村々。上流から順に、高野村、立沢村と立沢新田、中沢村と新中沢村、新橋村、および、支流の上流にある高松村。
以上の13ヶ村が合併し、13から「とみ」の読みを得て「とみさと」と命名成立したものである。以後、昭和60年(1985年)町制施行、平成14年(2002年)市制施行しただけで、大きな変更は無い。
合併直後の隣接町村は、南西に八街村( 現八街市 )、西に酒々井町、北西に公津村( 現成田市 )、北に下埴生郡成田町( 現成田市 )、北東に下埴生郡遠山村( 現成田市 )、東に武射郡千代田村の飛地( 現山武郡芝山町 )、南東に武射郡二川村( 現山武郡芝山町 )、南に武射郡睦岡村( 現山武市 )。
本日の出発点は、富里市新橋の、高崎川谷津田の西の端にある、そば処如月さんの前です。駐車場の南、対岸の台地には酒々井プレミアム・アウトレットが見えますが、前回ここを通ったのは、飯積村道標を探してたどり着けなかった時でした。本日は、ここから東に、高崎川の上流方向に進みます。ここ新橋(にっぱし)地区は、富里市の高崎川流域の西端になります。北は七栄と、東は中沢と、南は少しだけ(佐倉牧の)柳沢牧( 現八街市八街は )と、西については、高崎川より南は酒々井町飯積と、川より北は酒々井町尾上と、各々接しています。新橋地区の中央を高崎川が東から西へ流れ、その北と南は台地になっています。
さて、そば処如月さん前から東へ、最近整備された道に出て東へ、この道が左にカーブするところ、ここは、元々は直進と左折の丁字路でしたが、道路を付け替えたところです。もとの左折道路は、左手(北)の南平台の団地に通じていたのですが、最近整備された道がぶった切ってしまいました。
丁字路は右折して、東に進みます。少し進むと、バス停がありました。えと、富里市デマンド交通【キャロリン号】の、瓜房(うりぼう)乗降ポイントでして、富里市民と市外からの在学生が対象で、利用には利用者登録と、電話での予約が必要だそうです。ここには時刻表がないこともあり、普通の乗り合いバスのようには使えないようです。
も少し進むと、左手に鳥居と消防団機庫のセットがありました。ここに写っているもののうち、消防団機庫とキャロリン号乗降ポイントについては、次回の記事に回します。
新橋の麻賀多神社
麻賀多神社、富里市新橋818番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
鳥居
神額は「正一位麻賀多大明神」。
鳥居左前の石仏
鳥居の左前、というより道路際に、かなり摩耗した石仏がありました。両側に文字がありますが、読めそうで、断じかねる。
仏堂
鳥居を潜って、参道階段直前の右に、仏堂があります。この仏像は、以下の富里市Webページによれば、宝性院の薬師様だそうです。
www.city.tomisato.lg.jp
手水鉢
参道階段直前の左には、手水鉢です。手水鉢正面の中央「奉納」、右端に「天保二卯二月吉日」。(天保2年=1831年)
参道階段
上った先の平坦部には、額堂があり、本殿へはさらに階段を上ります。
額堂
つい拝殿と呼びたくなりますが、額堂だそうです。額殿の方が良いのかも。額堂の神額も「正一位麻賀多大明神」。
額堂平坦部
額堂左の境内社石祠は「疱瘡神」。額堂右の境内社石祠は「子安大明神」。
本殿参道
本殿へは、額堂を突っ切ります。そこからまた階段で、本殿のある平坦部に出ます。
本殿平坦部左手
写真の右の石祠は「間神社」と読めるので、たぶん浅間神社。
本殿覆屋
扁額は、全く読めません。
本殿平坦部右手
写真の左の石祠は「天神宮」。
それでは、下山します。
次回は、新橋の新橋観音堂など
次回は、新橋の新橋観音堂などに参ります。麻賀多神社前の道路すぐ東隣の丁字路を右折します。