(令和6年8月2日その7)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、木野子の宝鏡院(5番)の次は、宮本(みやもと)の観音堂(16番)に参った後、山王神社にも寄り道します。
佐倉市木野子の集落から東へ、小さな谷津を渡って、印旛郡市広域市町村圏事務組合水道企業部印東加圧ポンプ場の前まで来ました。加圧ポンプ場の南角を左折(北北東行)すると、これが古道だそうで、すぐに国道51号に合流します。ここの交差点で国道を横断します。日中は難しそうですが、すぐ南側に信号交差点があるので、機をみて渡れます。その先すぐに、その信号交差点からの道に合流します。そのまま直進(東行)すると、程なく、左手に佐倉市消防団第5分団48部の倉庫、その隣が宮本区民館となります。宮本区民館の右側に観音堂16番大師堂があります。
宮本の観音堂
六崎組十善講八十八ヶ所16番。(観音堂)
宮本区民館
16番大師堂
御詠歌額は、「第十六番 宮本観音堂」、16番御詠歌、「光耀山観音寺」。光耀山観音寺とは、本家四国八十八ヶ所16番札所観音寺のことです。それでは、今日はここまで、としようと思いましたが、上の写真の右端に写る竹、これは、2本の竹の間にしめ縄を渡して、鳥居の如しです。ちょっとこの先(北)へ行ってみます。すると、直線路が左に逸れるところの直線上に、山王神社がありました。
宮本の山王神社
山王神社、佐倉市宮本246番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
鳥居の左前に道祖神祠、鳥居からは参道真っ直ぐに拝殿、参道途中に常夜灯、参道右手に庚申塔群、本殿の背後に三山供養塔群、その他、境内に境内社が散在しています。大師堂は見当たりません。
道祖神祠
鳥居前手水鉢
鳥居の左前、道祖神祠の後方に、古い手水鉢があります。正面には「寒風村 天部村 講中」とあります。宮本村は書いてない。天辺村ではなく天部村。
鳥居
神額は「正一位山王宮」。
常夜灯
両常夜灯の参道側「御寳前」、左常夜灯の背面(拝殿側)と右常夜灯の正面(鳥居側)に「文政三庚辰九月吉日」。(文政3年=1820年)
拝殿
庚申塔群
この中の右から2番目の庚申塔は、正面の中央「清面金剛」、その左右「寛政十二庚申年 十一月吉日」。(寛政12年=1800年) ここでは青面金剛ではなく清面金剛と表記するようです。
参道左境内社群
左から順に、疱瘡神、大六天社、天神社、三峯神社。
本殿
三山供養塔群
左端の供養塔は、正面は上部に種字3字、その下には中央「湯殿山」、その左右「月山 羽黒山」、右面「享和三癸亥天八月吉日」、左面「開眼導師皓月山第三十一世法印盛傳」。(享和3年=1803年) その右の、一番背の高い供養塔は、正面の中央は種字1字に「湯殿山 供養塔」、その左右「月山 羽黒山」、右面はピントが合ってないんですが「文久二龍集壬戌二月八日 行者三十…建之」、左面「供養導師皓月山三十三世法印盛範」、台座の正面と左面には「宮本村」、「〓〓田村」、「直弥村」、「上別所村」、「米戸村」などの名字付き男性名多数。(文久2年=1862年) さらに右の供養塔は、正面の中央「湯殿山」、その左右「月山 羽黒山」、右面「天保三壬辰三月吉日」。(天保3年=1832年) 皓月山とは直弥の宝金剛寺(8番)のことでしょう。
他の境内社
ピンぼけで詳細不明。
境内木
これに拠れば、保存樹に指定されたスギなどの境内木は、昭和49年(1974年)時点で樹齢推定250年。
帰宅
今日はここまでとしました。本日は、1番&31番&38番、56番、元38番候補の神社、76番、元49番候補の神社、9番&49番、10番、5番、16番、他に神社4ヶ所に参りました。