(令和6年10月2日その1)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の明治22年旧佐倉町地域探訪、本日は、旧佐倉町の中部を巡ります。
本日の出発点は、旧街道、田町の愛宕神社入口丁字路です。この丁字路で南に折れれば愛宕神社前に出ますが、本日はこのまま旧街道を東に直進します。家数軒分先から海隣寺町(かいりんじまち)に入ります。
海隣寺町
海隣寺町は、佐倉13町のひとつで、台地の上と下に跨がり、台地の上には海隣寺、熊野神社、それに佐倉市役所がある町です。なお、海隣寺には、六崎組十善講の(、少なくとも番付)札所ではない大師堂があります。
さて海隣寺町に入っての旧街道、はじめはごく緩い上り坂で、斜度がきつくなる手前に丁字路があります。この丁字路を左折してみると、右手に佐倉市消防団第1分団3部の倉庫、その向こうに国道296号が立体交差して上っていきます。国道の下にトンネルですが、これは、もともと下の道だけがあって、その上に国道を通したものと推測します。そのままトンネルを抜けて、突き当たりの合流三叉路、この写真の右手前から来ていますが、写真奥へ右折します。なお、この辺りのみ、右手は並木町です。
すぐに市役所下バス停、しばらく進んで、佐倉郵便局です。ここまでで旧街道まで戻り、急坂を上ります。
海隣寺の坂
坂の左手に、「佐倉散策~佐倉の坂~ (3)海隣寺の坂」と題する説明板です。これに拠れば、昔は木戸も設けられていたと。
なお、説明板の絵図に拠れば、海隣寺のところは「海隣寺 時宗 御朱印 三拾石」と記述、すぐ近くの重願寺は「重願寺 一向宗」、田町門上には「円正寺」、今の佐倉中学校校庭付近に「大乗院 真言宗」、以上の寺域と、城の御殿から長屋までの武家屋敷( 現在の城内町、宮小路町、並木町、裏新町 )が黄色に塗られていて、武家の名前などが記されている。町人地域( 田町、新町 )は紫紺色で単に「町屋」と書き、前記以外の寺は濃灰色に塗られていて字が読みにくい。神社は絵にコメント入りで各地に点在。近郊の農家は絵で表示されている。
さて、短い急坂の先で旧街道は国道296号に合流、すぐに佐倉市役所バス停です。
佐倉市役所
そして佐倉市役所です。市役所奥の駐車場の中に海隣寺の墓地があり、そこには千葉家供養塔群があります。
でまたすぐに海隣寺への入口となります。海隣寺と、隣接する熊野神社、そして千葉家供養塔群には、以前に参りましたので、今回はパス。すると、海隣寺町巡りも終りです。引き続いて並木町に入ります。
国道296号海隣寺入口の十字路、反対(北東)側に入ります。
並木町
並木町(なみきまち)は、海隣寺町に続く台地の上の町で、元は武家町です。
十字路入っての突き当たり、左へ、次の突き当たりのところ、道は左に折れますが、右の角のところに稲荷祠があります。
並木町北西端の稲荷祠
祠の中には「稲荷神社」の石祠がありました。
この先、特には無さそうなので、稲荷祠から戻りまして、突き当たりを右に折れて、海隣寺が見える直線の途中で、左折、しばらく進むと、右カーブの外側に鳥居付きの祠がありました。
佐倉市並木町中部の神社
こちらもお稲荷さまのようです。
そのまま道を進みまして、国道296号に突き当たり、右折、ちょっと進んで、「並木町」の石塔のある丁字路、左折、すぐのクランク、向こうに見えるイチョウを目標に、左・右と進むと、並木町の高丘稲荷神社となります。
並木町の高丘稲荷神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
小高い丘の下に鳥居、上に本殿です。鳥居の神額は「高丘稲荷神社」。(高は、はしご高です。)
鳥居の右に保存樹説明板です。これに拠れば、所在地は佐倉市並木町字高丘145番地。本殿の神額も「高丘稲荷神社」。
本殿の右に石祠などです。御神木のイチョウを写真に納めるべく、ちょっと離れて撮影。今度は墳丘を対象に。
次回は、宮小路町の武家屋敷など
次回は、宮小路町、特に南部鏑木小路の武家屋敷を巡ります。国道296号に戻って右折(南南東行)します。