(令和6年9月26日その2)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の明治22年旧佐倉町地域探訪、田町の旧街道&愛宕神社などの次ですが、愛宕神社参拝の続きからです。
続・田町の愛宕神社
愛宕神社、佐倉市海隣寺町102番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
手水舎前から階段を上ります。階段の先にまた鳥居です。
拝殿前鳥居
こちらの神額も「愛宕神社」。
拝殿前常夜灯
両常夜灯の背面「天保五年甲午四月」。(天保5年=1834年)
拝殿
拝殿の背後に本殿があるかどうかは、確認を忘れました。
天満宮
拝殿右手に境内社天満宮です。両常夜灯の正面「常夜燈」、右面「文政元年戊寅五月吉日」。(文政元年=1818年)神額は「天満宮」。
市役所への抜け道
天満宮の左手、拝殿併設の社務所右脇を抜ける道がありました。これは、佐倉市役所へ通ずる道だそうです。この後、12時を過ぎたころから、ぽつぽつと人が下りてきました。
境内
拝殿の左手に、石灯篭があって、さらに奥へと通じています。
保存樹説明板
その石灯篭の右に、保存樹説明板です。
稲荷神社
石灯篭の先には境内社稲荷神社があります。左側に「奉納 稲荷神社社殿 …」とあります。
石塔石仏群
稲荷神社の左隣に、石塔石仏群です。覆屋の下、まず右側から、右側の庚申塔2基のうち、小さな方は、最上部に梵字3字、その下は中央に梵字5字、右2行「寛文十庚戌天 爲欣求成〓」、左2行にも文字あり。(寛文10年=1670年)
中央の石仏は、奥の方は字が読み辛い。左側は、写真右端の修行僧像は、左「文化十一甲戌四月」。(文化11年=1814年) 写真左端には、僧侶の墓石もありました。
石塔石仏群の左を進むと、田町会館脇に抜けますが、そこは通らず、来た参道を戻ります。
境内から佐倉城方向
そのまま道路まで戻って、左に切り返し、南へ進みました。
進路左は斜面( 海隣寺町 )、右は田町と進みますが、そのうち斜面沿いから離脱、突き当り丁字路に出ます。ここは左折、続いて、佐倉第二児童公園前の丁字路、また左折すると、右手の児童公園の向こうに、鏑木町の重願寺の山門が見えました。すぐの丁字路右折で、左手に重願寺です。
次回は、鏑木町の重願寺&麻賀多神社など
次回は、重願寺、続いて、麻賀多神社に参ります。