(令和6年9月26日その1)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の明治22年旧佐倉町地域探訪、本日は、旧佐倉町を西側から巡ります。
最初は、西印旛沼から鹿島川に沿って旧佐倉町に接近します。鹿島川の河口から2番目の橋にて、佐倉城跡方向を望むと、川幅が広く、川と城が近いのが判ります。
ここから、鹿島川の左岸(西側)角来地区を通過して、国道296号に合流、鹿島川を渡る前に少し上流側にズレてみました。旧街道は、現在の国道296号鹿島橋よりも少し上流(南)側から、渡河していました。さて、どのあたりでしょうか。
鹿島橋経由で、対岸に移り、田町(たまち)に入ります。
佐倉市田町の旧街道
田町は、佐倉13町のひとつで、佐倉城北側、堀のすぐ外側の平坦部にあたり、そこを旧街道が貫いています。
鹿島川右岸からは、旧街道らしき道が残っています。この道を進んで、すぐの国道296号新道との交差点、なんとか反対側に進んで、そこからは左にカーブして、国道296号と交差します。ここも国道を横断、直進します。この辺り、往時は、街道右にお城の水堀、街道左の町屋の奥には、鹿島川の船着き場があったようです。
そして、旧街道は右に折れまして、直進した先で、国道296号が合流します。その次の歴史博物館交差点、左折すると千葉県道65号佐倉印西線で山崎・下根・飯野方向へ、直進は国道296号&県道65号&旧街道、右折すると佐倉城跡の中にある国立歴史民俗博物館に至ります。ちょっとだけ右へ。今でも水堀が残っています。そして、東側には、田町門跡・愛宕坂の説明板です。
田町門跡・愛宕坂説明板
これに拠れば、ここは田町門の跡、この坂上には愛宕神社、その隣に円勝寺があった。ここから城に上る坂は愛宕坂。坂上、現在の歴博の場所には武家屋敷があり、椎木曲輪と呼ばれていた。
それでは、旧街道に戻りまして、すぐ次の丁字路手前、ここの右手で、水堀が曲がっています。丁字路にて、国道は少し左に曲がり、旧街道は右に折れています。ここは右へ、続く三叉路、右手の水堀はそのまま真っ直ぐ伸びていますが、旧街道は左に曲がっています。左折後のストレート途中で、「田町の鎮守 火の神様 愛宕神社入口」の看板がありました。丁字路右折の前に、ちょっとだけ直進します。すぐに、田町と海隣寺町との境界になります。この写真より先はほぼ、海隣寺町です。
戻りまして、愛宕神社入口丁字路を南へ、すぐの三叉路、たぶん左だよな。そしてちょっと曲がって、愛宕神社前です。
田町の愛宕神社
愛宕神社、佐倉市海隣寺町102番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
住所は海隣寺町になります。
鳥居前左に田町会館、その前に説明板があります。
田町会館
田町会館の左側に、細い階段参道がありますが、ここは後回しにします。
愛宕神社説明板
これに拠れば、元は土井利勝による(新)佐倉城築城の際に、城内に愛宕神社を祀り、併せて五社明神も祀って、田町の鎮守となった。明治8年(1875年)に境内全域が軍用地になったため、現在地に遷座。ご祭神は、愛宕大権現すなわち迦具土命(かぐつちのみこと)、別名は火産霊命(ほむすびのみこと)、五社大明神すなわち、天照大神(あまてらすおおみかみ)、春日大神(かすがのおおかみ)、鹿島大神(かしまのおおかみ)、八幡大神(はちまんのおおかみ)、客仁大神(まれひとおおかみ)の5柱。境内社は、天満宮(てんまんぐう)、菅原道真公(すがわらのみちざねこう)、稲荷神社(いなりじんじゃ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
参道入口鳥居
神額は「愛宕神社」。
最初の階段
鳥居から参道進んで、初めての階段です。
参道の常夜灯
この階段の上にある常夜灯、正面「奉納御寳前」、参道側側面「延享二乙丑年九月十〓日」、背面「佐倉田町…」。(延享2年=1745年)
手水舎前
階段の先はいったん平らになって、手水舎のところで左に折れ、すぐに階段です。ここの手水鉢、正面「奉納」、右面「寛政十一己未年 冬十一月吉日」、左面「願主 田町氏子」。(寛政11年=1799年)
奥の階段
手水舎の次の階段ですが、階段の始まりのところ、左右に何かあります。何でしょうかね。
次回は、続・田町の愛宕神社など
次回は、愛宕神社の続きからになります。