(令和6年9月26日その6)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の明治22年旧佐倉町地域探訪、佐倉城址公園の続きです。
宮小路から大手門跡、広小路から三の門跡、二の門跡、一の門跡と通って、本丸内部に到達しました。
続・佐倉城址公園
本丸
本丸は土塁に囲まれています。二の丸方向以外の土塁は、その上を歩くことができます。
本丸内部に進んでの右手土塁上に、何かあります。そちらに上ります。
銅櫓跡
これに拠れば、銅櫓は、銅瓦葺の2階建て、土井利勝( 土井利勝 - Wikipedia )が将軍家から拝領したという。銅櫓跡から本丸内側を見て右の土塁側に、また何かあります。そちらへ。
夫婦モッコク
巨木の手前右には、千葉県と佐倉市の両教育委員会による説明板、これに拠れば、佐倉城の夫婦モッコクは千葉県指定の天然記念物。
www.pref.chiba.lg.jp
なお、所在地は、佐倉市城内町官有無番地、だそうです。
手前左には、佐倉連隊跡としての説明板です。銅櫓跡、夫婦モッコクと来て、その次は、「佐倉城本丸天守及びその石碑について」と題する説明板がありました。
天守跡
これに拠れば、佐倉城天守は、段差のある土塁上に建てられ、本丸内側からは4階建て、外側からは3階建てに見えた。文化10年(1813年)に焼失、その後も再建されなかった。
土塁を上って石碑へ。石碑の隣、八角柱のやつは、その上面に、本丸家形配置図がありました。
石碑と夫婦モッコクの間が、実際に天守が建っていた場所です。そちらへ。そろそろ、本丸も終りです。天守跡から本丸内側を見て右に進むと、左手に角櫓跡です。
角櫓跡
角櫓跡の右手は、台所門跡です。
台所門跡
門の跡を出て本丸からも退出しました。
続いて、すぐ左に折れて、正岡子規句碑のところに戻り、右へ曲がって二の門跡へ、堀田正睦公像まで戻って、左折します。
ここまで、大手門跡から本丸まで西北西に進み、途中の堀田正睦公像まで戻りましたが、左折後は北北東に進みます。
その先の三叉路があって、右に行くと三の門跡をパスして大手門跡方向へ行けますが、この日は通行止めでした。通行止め地点の左は下りになって、その先にはあずまやです。
三叉路に戻ってもう一方の道へ、左に曲がると、車止めがあって、右手は国立歴史民俗博物館の駐車場です。左ですが、空堀となっています。
通路が右に曲がるところ、左側に佐倉病院の記念碑です。
国立佐倉病院跡
これに拠れば、明治7年(1874年)に東京鎮台佐倉営所病院創設、以後、明治20年佐倉衛戍病院、昭和11年(1936年)佐倉陸軍病院、昭和20年軍事保護院佐倉病院、同年国立佐倉病院、昭和25年国立療養所佐倉病院、昭和28年国立佐倉療養所、昭和54年国立佐倉病院となって江原台に移転、平成16年(2004年)国立千葉東病院に組織統合された。
因に、江原台の病院は、今は聖隷佐倉市民病院となっています。
この記念碑の後方平坦部、奥にも佐倉陸軍病院跡の説明板があります。こちらですと、最初は佐倉屯営病室と称したとなっています。
次回も、佐倉城址公園&外周
次回も、佐倉城址公園で、その後、西側から南側水堀の外を巡ります。