六崎組十善講八十八ヶ所巡拝 寄り道 城の麻賀多神社

(令和6年8月2日その5)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、石川の菅原神社(元49番候補)&養昌寺(9番&49番)&六崎の普門院(76番)南側入口の次は、城(じょう)の円城寺(10番)への道中、城の麻賀多神社に寄り道します。
普門院南の舗装路から突き当たり丁字路まで戻って左折(西行)します。そこから少し進んでの左手、

佐倉市六崎から春路2丁目・高崎方向
佐倉市六崎から春路2丁目・高崎方向
春路2丁目の住宅地から谷津田を挟んで、高崎地区が見えました。
で、道を進みましての交差点、
六崎普門院南の変則交差点
六崎普門院南の変則交差点
ここはやや右、1時の方向へ進みます。後は真っ直ぐ進んで、千葉県道65号佐倉印西線との突き当り丁字路、
千葉県道65号セブンイレブン佐倉石川店南の丁字路
千葉県道65号セブンイレブン佐倉石川店南の丁字路
左(南)ですが、その前にセブンイレブンに寄り道しました。
さて、県道65号を南に進みまして、工業団地入口交差点は直進、次の信号交差点、
千葉県道65号藤治台入口の信号交差点
千葉県道65号藤治台入口の信号交差点
左折、すぐの右カーブ(、正確には三叉路、)のところ、
城麻賀多神社西のカーブ
城麻賀多神社西のカーブ
前方に見えるのが、城の麻賀多神社の杜です。右カーブ直後、
城の麻賀多神社バス停と十字路
城の麻賀多神社バス停と十字路
麻賀多神社バス停を通過しての十字路を左折します。すぐに左手に麻賀多神社となります。
城麻賀多神社前
城麻賀多神社前

城の麻賀多神社

麻賀多神社、佐倉市城777番地5。(千葉県の宗教法人名簿より)
境内南側、道路に面して中央に鳥居、そこから参道真っ直ぐに拝殿、参道途中右に手水舎、境内左側に記念碑と文化財説明板、境内右側には石塔石仏群が複数あります。大師堂は見当たりません。

鳥居

城麻賀多神社鳥居
城麻賀多神社鳥居
城麻賀多神社鳥居神額
城麻賀多神社鳥居神額
神額は「郷社麻賀多神社」。

手水鉢

城麻賀多神社手水鉢
城麻賀多神社手水鉢
手水鉢の上部「奉納御寳前」、右「明和元甲申年閏十二月」、左「諸願成就 城村…」。(明和元年=1764年)

拝殿

城麻賀多神社拝殿
城麻賀多神社拝殿

境内左手

城麻賀多神社境内左手
城麻賀多神社境内左手
碑にはタイトルがありません。碑文は次の通り。
城麻賀多神社記念碑碑文
城麻賀多神社記念碑碑文

夫人住也設社而祀神此我古之慣也。本社所祭稚産靈命則豊受大神之祖而常蚕桑五穀生成保食神也。社名按上古当地方適植麻以麻朝献而云麻縣此故也。本殿重建於宝永四年拝殿係大正六年之造営。創建年時雖未詳延喜式曰麻賀多神社下總國一坐。現存郡内其数十八当社其一。而去今七百九十四年保元二年既存見古文書六崎之鎮守也。堀田氏之封佐倉分六崎爲六崎城石川此今三区民所以致尊崇也。享保十四年祠官氏子等於請神道管領卜部兼敬奉正一位称麻賀多大明神。明治十年列郷社際大祭村或縣使参向供進使。遇今次大戰之終結神社離國家管理当是大変革。宮司氏子協力盡策自國家受境内無償譲与。因恐惶肅拜奏神前設碑以告後世。
 昭和二十六年二月十七日 西暦千九百五十一年

句点は碑文には無く、筆者追記のものです。そして最後に宮司と、氏子総代5名の名が刻まれています。氏子総代は、六崎から2名、城、石川、停車場から各1名です。
これに拠れば、ご祭神は稚産霊命(わくむすびのみこと)、式内社麻賀多神社と同名の18社の1社。創建年時は未詳、保元2年(1157年)には六崎の鎮守であった。佐倉藩堀田氏のときに六崎(村)から城(村)と石川(村)が分割され、以後この3地区の鎮守である。本殿は宝永4年(1707年)再建。戦後に国から境内地を無償譲渡されたので、この碑を建てた。
碑の左に佐倉市市民文化遺産の説明板があります。

城麻賀多神社の佐倉市市民文化遺産説明板
城麻賀多神社の佐倉市市民文化遺産説明板
説明板のタイトルは「城麻賀多神社の神輿の巡行 及び 奉納相撲と旧相撲地跡」、ここでは、旧六崎村の六崎・城・石川・表町の4区の氏神であると記されている。
www.city.sakura.lg.jp
そして、碑の右奥に境内社。
城麻賀多神社境内左手の境内社
城麻賀多神社境内左手の境内社

本殿

城麻賀多神社本殿左側
城麻賀多神社本殿左側
城麻賀多神社本殿右後方
城麻賀多神社本殿右後方

手水舎奥の石塔石仏群

手水舎の奥の方の石塔石仏群、

城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群
右(南)から、
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群右1-3基目
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群右1-3基目
一番右端は、最上部に種字、台座部の中央に「空心法師 覺位」、右「安永二癸巳十月吉日」、左「湯殿山權現江從〓壹町」、何でしょうか。(安永2年=1773年) その左は庚申塔で、中央「青面金剛」、その左右「寛政十二庚申年 十〓月吉日」。(寛政12年=1800年)
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群右3-6基目正面
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群右3-6基目正面
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群右3-6基目正面左面
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群右3-6基目正面左面
その左( 全体で右から3番目 )の三山供養塔、正面の中央は種字に「湯殿〓」、その左右「月」と「羽〓」、左面「文化十四丁丑十〓」。(文化14年=1817年) その左は、3基で1組の三山供養塔で、中央の塔が一番背が高くて正面に「湯殿山」、右の塔の正面「月山」、左の塔の正面「羽黒山」、3基とも左面に「三ヶ村」とある。
そこから大きな石碑を挟んでの左側、
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群左1-5基目正面
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群左1-5基目正面
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群左1-5基目正面右面
城麻賀多神社手水舎奥の石塔石仏群左1-5基目正面右面
大きな石碑の左隣( 全体で左から5番目 )の三山供養塔、正面の中央「〓殿山」、その左右「月山 羽黒山」、右面「嘉永七甲寅四月日」。(嘉永7年=1854年) その左も三山供養塔、その左は、像はたぶん大日如来、右「湯殿山」、左「宝暦九己卯七月吉日」。(宝暦9年=1759年) その左も三山供養塔で、一番左端は「〓山神社」の石祠。

境内社殿右手

城麻賀多神社境内社殿右手
城麻賀多神社境内社殿右手
社殿の右手にも石塔石仏群があって、
城麻賀多神社境内社殿右手石塔石仏群
城麻賀多神社境内社殿右手石塔石仏群
一番右端は「道祖神」の石祠、ひとつ飛ばして、中央は庚申塔、その左の庚申塔は、中央「庚申塔」、その左右「安政七庚申 四月吉日」、下に横書きで「石川〓中」。(安政7年=1860年は3月に万延元年に改元) 一番左は「馬頭觀世」音の石塔。
城麻賀多神社本殿右側と境内社石祠
城麻賀多神社本殿右側と境内社石祠
それでは、次へ参りますが、鳥居を出て左(東)を向くと、
城麻賀多神社前から左手
城麻賀多神社前から左手
すぐ左手にも、道路に面して石塔石仏群があります。

道路側石塔石仏群

城麻賀多神社道路側石塔石仏群
城麻賀多神社道路側石塔石仏群
この中の左端、覆い屋の外の石仏は、
城麻賀多神社道路側大日如来像
城麻賀多神社道路側大日如来像
右「…大日如来念佛講…二世…」、左「寛文十一年…二月十九日」、結構古い。(寛文11年=1671年) その右、覆い屋の中の石仏は、
城麻賀多神社道路側庚申塔
城麻賀多神社道路側庚申塔
左の石塔、中央は種字に「奉〓立〓申…二世安樂」、左右「延〓八〓〓年 二月〓日」。(延〓8年は延宝8庚申年=1680年しかないが?) 右の石塔は、右は何となく「元文五庚申年二月」の感じがして、左下「城村中」。(元文5年=1740年) いずれも庚申塔です。

次回は、城の円城寺(10番)

次回は、城の円城寺に参ります。神社前をそのまま東に進みます。