(令和6年8月19日その6)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、四街道市成山の地蔵堂(46番)捜索&たかおの杜(成山)の髙靇神社の次は、千葉市若葉区旦谷町(だんやちょう)の薬師堂(67番&75番)に参った後、旦谷町の白幡神社に寄り道します。
たかおの杜(成山)の南端を通る国道51号に出て左(西)へ、坂戸交差点では、右の千葉県道22号千葉八街横芝線に入ると見せて、さらに右の細道に入ります。道なりに進んでの十字路、右へ、DIC総合研究所の入口は、当然通過します。坂下で、そのまま谷津田を横断して、対岸にて坂を上ります。そこからは道なりで、木々の中を結構進んでから畑地を経て、ようやく突き当たり丁字路に出ました。この丁字路左前に、秩父観音供養塔がありました。供養塔正面の中央「奉造立秩父觀世音供養塔」、その左右「安政二乙卯年 八月吉日」。(安政2年=1855年)
この丁字路は右(東)で、すぐの突き当たり丁字路の右手前が目的地です。
旦谷町の薬師堂
六崎組十善講八十八ヶ所67番。
六崎組十善講八十八ヶ所75番。比較的大きな建物の南東角に75番大師堂、その背後に石塔石仏群です。昔は、北西角に67番大師堂があったのですが、今はありません。
75番大師堂
御詠歌の冒頭「七〓五番」。写真だと判りにくいですが、堂内奥に大師像、扉に張りつくように大師像があります。もしかすると、67番大師像を追加したのかもしれません。
石塔石仏群
後列に屋根付きの一群と、その前に露天の一群があります。まず、後列は左の月待塔・子安像から、写真右の像は、右「天明六丙午二月吉日」、左「講中」。(天明6年=1786年)
後列は右の石塔石仏群からは、地蔵像と月待塔、地蔵像は、右「奉造營地藏菩薩…」、左「寛保元辛酉歳三月吉日…」。(寛保元年=1741年) 月待塔は、中央から右に「奉造立如意輪觀世音菩薩」、その右「宝暦四戌十月吉日」、左「十九夜念〓講中 旦谷村」。(宝暦4年=1754年)
そして前列、前列右端の石仏は、右「〓講中」、左「同行八人 安永四乙未十一月吉日」。(安永4年=1775年)
67番大師堂跡
Google Street Viewに拠れば、2019年5月までは存在したが、2023年4月には無くなっている模様。
それでは、67番大師堂の捜索を兼ねて、少し集落を廻ります。薬師堂前の丁字路を南へ、これは75番大師堂から丁字路に出て左へ、進みます。徐々に道が右カーブして、そのイン側に祠がありました。こちらは大師堂ではありません。
そのまま道を西へ進むと、杜の中に石塔群、その奥に白幡神社が現れます。
旦谷町の白幡神社
白幡神社、千葉市若葉区旦谷町215番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
神社の杜の東側に三山供養塔群、南東に鳥居、鳥居から参道が延びて社殿、境内に境内社が散在しますが、大師堂は見当たりません。
三山供養塔群
この中から、こちらの供養塔は、正面の中央上部「湯殿山」、その左右「月山 羽黒山」、右面「安政二乙卯二月吉日 旦谷村」。(安政2年=1855年)
鳥居
道祖神石祠と手水鉢
社殿
境内社と庚申塔
庚申塔の最上部「日天 月天」、お顔の右「奉造立青面金剛」、左「…二世安樂祈所」、右端と左端にも文字あり。さらに集落近辺を廻ってみましたが、大師堂は見つかりませんでした。
帰宅
今日はここまでとします。本日は、元24番候補、52番?、66番、59番、(46番は未発見、)67番、75番跡、それに神社は5,6ヶ所参りました。現時点で把握している六崎組十善講の札所は、全て参ったことになります。
それからですね、記事のネタが切れました。