自転車坂東三十三観音巡拝 安楽寺から慈光寺(9番)駐車場まで

(令和4年6月19日その4)
自転車で坂東三十三観音巡拝、安楽寺(11番)の続きです。
9時53分、安楽寺仁王門下を西向きに出発します。慈光寺(9番)の納経所が昼休みに入る12時迄に、坂を上って、観音前で納経を済ませなければなりません。でもまあ、間に合わなければ、1時間待てば良いのです。この巡拝は、基本は頑張らないのですが、ちょっとだけ頑張ります。
安楽寺からすぐに、埼玉県道271号線に合流し、そのまま西へ進みます。国道407号線に合流する手前で左折して市野川に架かる歩道橋を渡り、すぐ右折して地下歩道を通って、信号交差点を2ヶ所回避し、左手の車道に合流します。
このまま道なりに進み、東松山市内の不動横丁交差点で信号に引っかかったので右折、東松山市役所交差点を左折、市役所入口交差点を右折、ここからは道なりに長く走ります。
県道344号線に合流(右折)したら、次の白山神社(南)交差点で左折、すぐ右折で県道172号線に合流(左折)、ここからは県道をずっと走ります。
県道172号線に入って都幾川を渡ると、大蔵(地名)になります。ここは、源義賢の館があった所であり、義賢や秩父重隆が、(義賢の甥の)源義平( 頼朝の長兄 )や、(重隆の甥の)畠山重能( 重忠の父 )に討たれた所(大蔵合戦)でもあり、義賢の子の義仲の誕生地でもあります。その後、義平が平治の乱で敗亡した事と、比企氏が比企郡に進出した事に関係があるかはよくわかりません。(なお、この近くの菅谷館跡が畠山重忠の館跡だと知ったのは、後日の事。)
それはそうと、ペットボトルのポカリスエット、信号待ちの時に飲む予定だったのですが、ここら辺では、なかなか飲む機会がありません。ですので、サイクル用のボトルに入れた水を主に飲みます。
走行するうちに、都幾川沿いの平地の幅が狭くなり、山が前方、左右に迫ってきます。道も僅かに上っているはずですが、実感はありません。
10時55分、右手に何とかBASE(ときがわベース)を発見、ここの自販機で水を補給します。11時00分、右手にトイレやバス停のスペース(トレッキングコースインフォメーションセンター)を発見、ここで県道が左カーブする所を、右折(直進)します。次の突き当りを右折すると、慈光寺の坂が始まります。11時02分、標高は141m。
すぐに道が二股に別れますが、真直ぐ上るべき所、二股の間にあるお堂に寄り道します。この坂きついし、昼休みには充分間に合いそうですし。

慈光寺(駐車場より下)

都幾山女人堂

入比坂東三十三ヶ所観音札所1番。

都幾山女人堂
都幾山女人堂
都幾山女人堂横の説明板
都幾山女人堂横の説明板
このお堂の横にある説明板のタイトルは、“国宝「慈光寺経」装飾法華経提婆達多品”、です。ですが、慈光寺やここのお堂の説明にもなっています。それに拠れば、慈光寺は、鑑真の弟子である道忠の創建、女人禁制のための女人堂が、平安初期には坂の途中にあったそうです。
このお堂、女人堂の左前の柱に、入比坂東三十三ヶ所観音札所一番の標識があります。
入比坂東三十三ヶ所観音札所一番の標識
入比坂東三十三ヶ所観音札所一番の標識
入比とは、入間郡と比企郡とを指し、入比坂東三十三ヶ所とは、坂東三十三ヶ所の写し霊場として、入間・比企両郡に設けられたものです。
さて、登坂に戻ります。が、腹が減ったので、補給食(どら焼き)を食べつつ押し歩きます。その先に、徒歩の参道を見つけました。
慈光寺参道
慈光寺参道
11時12分、標高202m。補給でも撮影でも何でも理由を付けて止まりましょう。
ここから再騎乗して、しばらく頑張ると、ちょっとした平らな空間にお堂があるのを確認しました。

開山塔覆堂

慈光寺開山塔覆堂
慈光寺開山塔覆堂
慈光寺開山塔説明板
慈光寺開山塔説明板
このお堂の中に、国指定重要文化財の慈光寺開山塔があるそうです。国内唯一の室町時代の木造宝塔だそうです。但し、開山塔は覆堂の中にあり、覆堂には柵で囲われて近づけません。
www.town.tokigawa.lg.jp

釈迦堂跡

開山塔覆堂の隣に、何もない平らな空間があります。

慈光寺釈迦堂跡
慈光寺釈迦堂跡
慈光寺釈迦堂跡説明板
慈光寺釈迦堂跡説明板
ここにあった釈迦堂は、元禄8年(1695年)に再建されたものだったが、昭和60年(1985年)11月26日に焼失との事です。
この釈迦堂跡を過ぎると、間もなく慈光寺駐車場に到着です。到着時刻は11時25分、余裕で昼休みには間に合います。
なお、駐車場の標高は309m、麓からは距離約1.8km、標高差は168m。ちなみに船橋市の最高標高は約30mちょっと、下総国の最高標高は約70mちょっとです。

次回は、慈光寺(9番)

次回は、慈光寺(9番)で納経し、正法寺(10番)へ移動します。