(令和6年6月13日その1)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、本日は、鏑木町(かぶらぎまち)の周徳院(18番&58番)から始めます。本日の出発点は、角来の円通寺(かけ番)です。
という訳で、鹿島川左岸を印旛沼側から遡りますと、遠方( 写真の左側奥 )に佐倉城址・歴博、近くの台地の裾( 写真の右側 )の竹林方向に円通寺が隠れています。そして円通寺前まで来て、東へ引き返します。細い道を戻って、京成本線の踏切前三叉路、踏切は渡らずに右へ、集落に沿って進んで、前方に国道296号が見える、その手前の丁字路、左折します。すぐに国道との信号交差点に出て、左折で国道に合流、鹿島川に架かる鹿島橋を渡っての鹿島橋交差点、右折します。右折は国道296号新道でして、直線区間最後の丁字路で、左折、すぐの突き当り丁字路、右折で、以後は佐倉城址の外側を道なりに進みます。
佐倉城址の堀
蓮(ハス)ですよね、或は蓮と睡蓮(スイレン)の混在?堀が終わったら、長いストレートを進んで、それも終わったら道なりに、左に折れた後、右にカーブしての十字路、左手に周徳院です。この十字路を左折し、入った細道が右に曲がるところ、左手に周徳院の入口、そして駐車場と続きます。
鏑木町の周徳院
曹洞宗、周徳院、佐倉市鏑木町625番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
六崎組十善講八十八ヶ所18番。(薬師堂)
六崎組十善講八十八ヶ所58番。
南側の入口から入ると、永代合祀墓と駐車場の間から奥に進んで、少し高いところ、本堂の左側に出ます。そこから本堂正面に回り込むと、本堂から東へ参道があり、参道の南側に大師堂と地蔵堂、参道の東に山門、山門の外に石塔群と六地蔵、その先は、南側入口からの細道と合流する丁字路となります。
南側入口
山号は医王山。
境内
本堂
扁額は「醫王殿」。
大師堂と地蔵堂
18番&58番大師堂
御詠歌額は、「第五十八番」、58番御詠歌、「第十八番」、18番御詠歌。
なお、古い資料には、18番は一貫して「薬師堂」、58番は「せうぞう院」、「こう造院」あるいは「大聖院」などと記されています。
地蔵堂
地蔵堂の扁額は、右に「子安地蔵尊」、左に「水子地蔵尊」。子安像の右「寛政六甲寅十一月吉日」、左「當村講…」。(寛政6年=1794年)
山門
山門前の石塔ですが、左手左端の石塔は、正面「普門品一千部供養」、右面「文化十三丙子年」、左面「〓月吉祥日」、その右の石塔は、正面「馬頭觀世音」、右面「文化二乙丑年二月吉日」、左面「村講中」。(文化13年=1816年)右手は、左(参道)側の石塔、正面の中央「青面金剛」、その左右「寛政十二庚申年 十一月吉日」、中央は明治の秩父34番供養塔、右端の石塔、正面の中央「青面金剛」、その左右「萬延元庚申年 五月吉日」。(万延元年=1860年)
寛政庚申塔の背後に、標柱が2本ありました。左側標柱には「鏑木小学校跡 明治八年開校」、右側標柱には「木造薬師如来坐像及び両脇侍立像」とあります。右の標柱は、佐倉市指定文化財の標柱でしょう。
六地蔵
この六地蔵の右、手水鉢のさらに右に、庚申塔が1基ありました。
六地蔵右庚申塔
庚申塔の右「文五庚申年」、左「正月十八日庚申…」。(〓文5庚申年=元文5年=1740年)
参道
次回は、鏑木町の大聖院(17番&61番)
次回は、鏑木町の大聖院に参ります。周徳院山門からの参道を東に、道路に出てもそのまま東に進みます。