千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 寄り道 南生実町の八剣神社

(令和6年5月10日その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、有吉(おゆみ野有吉)の泉蔵寺(番外)の次は、南生実町(みなみおゆみちょう)の広照寺(84番)への道中、南生実町の八剣神社に寄り道します。
大百池公園の南側、中央分離帯のある道路との交差点北側に、東側おゆみ野中央方向から来て、

千葉市南生実町大百池公園入口の交差点(再掲)
千葉市南生実町大百池公園入口の交差点(再掲)
西側、写真中央やや右の、田圃の南側の細い道に入ります。隣の道路の信号交差点が近づくと、右手に広照寺本堂が見えてきます。
南生実町広照寺東の細道
南生実町広照寺東の細道
その手前にある小さな交差点、
南生実町広照寺東の細道の交差点
南生実町広照寺東の細道の交差点
ここで右に入り、南生実の集落に入っての丁字路、
南生実町八剣神社南の丁字路
南生実町八剣神社南の丁字路
左折の予定でしたが、前方に鳥居が見えますので、そちらに寄り道します。

南生実町の八剣神社

八劔神社、千葉市中央区南生実町880番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
丁字路から北に進んで鳥居、鳥居の左後ろに文化財説明板、鳥居から参道真っ直ぐに進んでから上り階段の先に拝殿、社殿の左右に境内社、拝殿前左に神楽殿、拝殿前右に手水舎、手水舎のさらに右に南生実町公会堂があります。大師堂は見当たりません。

鳥居

南生実町八剣神社鳥居
南生実町八剣神社鳥居
南生実町八剣神社鳥居神額
南生実町八剣神社鳥居神額
鳥居の神額は「八剱神社」。

八剱神社の神楽および神楽書説明板

南生実町八剱神社の神楽および神楽書説明板
南生実町八剱神社の神楽および神楽書説明板
これに拠れば、八剣神社は、日本武尊が東征時に国境の争いを平定した事に感謝して、土地の人が祭ったのが始まりという。神楽と神楽書は、千葉市指定の無形民俗文化財。
www.city.chiba.jp

参道

南生実町八剣神社参道
南生実町八剣神社参道
右の南生実町公会堂にはスロープがあるので、そちらから。

南生実町公会堂

千葉市南生実町公会堂
千葉市南生実町公会堂
南生実町公会堂からの八剣神社
南生実町公会堂からの八剣神社

手水舎

南生実町八剣神社手水舎
南生実町八剣神社手水舎
南生実町八剣神社手水鉢
南生実町八剣神社手水鉢
手水鉢の正面「奉納」、背面「文政十一年 子二月吉日」。(文政11年=1828年)

拝殿

南生実町八剣神社拝殿
南生実町八剣神社拝殿
南生実町八剣神社拝殿神額
南生実町八剣神社拝殿神額
手前の新しそうな神額は「八剱社」、奥の神額は、確たる事は判りませんが「八剱神社」なのか?

本殿

南生実町八剣神社本殿右側
南生実町八剣神社本殿右側
南生実町八剣神社本殿左側
南生実町八剣神社本殿左側

五祀社

社殿の右には境内社の五祀社。

南生実町八剣神社境内社五祀社
南生実町八剣神社境内社五祀社
祠の右に手水鉢、
南生実町八剣神社境内社五祀社手水鉢
南生実町八剣神社境内社五祀社手水鉢
そこには「寛政六甲寅歳 奉納」とあります。(寛政6年=1794年)
五祀社の右前には石碑があります。
南生実町八剣神社境内社五祀社石碑
南生実町八剣神社境内社五祀社石碑
これに拠れば、南生実村に点在していた5社を、明治42年(1909年)に合祀したもの。5社は、伊弉諾尊および伊弉冉尊、妙見社、熊野社、道祖神、痘神社。

天神社

社殿の左に境内社の天神社。

南生実町八剣神社境内社天神社
南生実町八剣神社境内社天神社

記念碑

南生実町八剣神社にある記念碑
南生実町八剣神社にある記念碑
これに拠れば、広照寺所有地( 城ノ台 )にあった行人塚が、南部都市整備公団の造成工事により、八剣神社所有地( 天神山 )に移転したという。碑の日付は平成10年(1998年)。
帰宅してから調べると、現在の行人塚は、八剣神社社殿の北西約50メートル程度の位置にあるようです。もしかすると、天神山にあった天神社を、この時に社殿横に遷したのかもしれません。

神楽殿

南生実町八剣神社神楽殿
南生実町八剣神社神楽殿
それでは、次へ参ります。参道を戻り、
南生実町八剣神社参道階段上
南生実町八剣神社参道階段上
鳥居の先の丁字路まで戻って、
南生実町八剣神社南の丁字路戻り
南生実町八剣神社南の丁字路戻り
右折(西行)、次の突き当たり丁字路、
南生実町広照寺入口丁字路
南生実町広照寺入口丁字路
左が広照寺の入口となります。

次回は、南生実町の広照寺(84番)&生実町の重俊院(84番)

次回は、南生実町の広照寺、続けて、生実町の重俊院に参ります。