(令和6年10月30日その2)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、上岩橋大鷲神社から柏木の印旛沼側までの次は、柏木の新光寺跡の前を経由して、下岩橋地区に入ります。
柏木の印旛沼側の道を往復して、南の、上岩橋との境近くの二股三叉路に戻って来ました。この写真、最初は右手前から来て左へ行き、また戻って来たところで、今度は写真の奥へ進みます。
ぼちぼち進んでの直進と左折の丁字路にて、道路の側線を見ると、向こうから左に流れるのが優先のようで、ここでちょっと左折してみました。すぐに、右手に酒々井町消防団第9分団倉庫と集会所らしき建物がありました。
酒々井町消防団第9分団倉庫と柏木青年館
奥の建物は柏木青年館でした。この道の先は千葉県道137号宗吾酒々井線に出ますが、ここは戻りまして、先ほどの丁字路を左折(北行)します。
こちら側の道は、左が丘陵の麓、右は田圃で、田圃の向こうには京成本線の車両基地があります。その京成本線に向けた大きな広告看板の手前の地点、左の民家の間、電柱のところが、柏木の新光寺跡への入口になります。
柏木の新光寺跡入口
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
大師堂があるらしい。佐倉組十善護国講(中印旛組)札所の可能性がある。この未舗装路に入って直進します。だんだん左の民家裏庭と区別がつかなくなってきますが、とりあえず直進、左前方の少し高い所に説明板らしきものが見えます。参道に石段が置いてあり、その左に酒々井町の標識がありました。標識は「柏木新光寺」。その先ですが、上り階段があって、その右には六地蔵です。問題は階段の左でして、関係者以外立入禁止の標識があります。これがどの範囲に対して有効なのかが、わかりません。右の階段は対象外にも見えますが。不明瞭なので今回は引き返します。
Google Mapへの投稿写真を見ると、ここには大師堂があるようでしたが。
なお、左奥の説明板の方には、石塔群もあるようでした。
道路に戻って左へ、いつの間にか下岩橋(しもいわはし)地区に入りました。
下岩橋地区は、西から南に柏木地区、南東に伊篠地区、東は元の飯仲村(現成田市飯仲、公津の杜、宗吾)、北は元の大袋村と下方村(現成田市宗吾、下方)と接していますが、南の一部以外の境界は全て丘陵部で、その中に低地の田圃部を抱えています。西から北の丘陵部に千葉県道137号宗吾酒々井線、田圃の南東側に京成本線が通り、宗吾参道駅もあります。
下岩橋地区に入って程なく、左丁字路と二股三叉路が連続する所に出ました。二股三叉路の右(東)側に、地蔵堂があります。
下岩橋南西(柏木寄り)の地蔵堂
今はここより柏木寄りにも民家がありますが、昔は村外れ同様の地で、これも村境の地蔵堂だと思われます。
さて、二股三叉路ですが、迅速測図を見ると、左の道が宗吾祠前を経由して各地へ向かう主要な道だったようですが、その機能は県道137号に移り、こちらの道は寸断されています。下岩橋の奥に進む場合も、右へ進みます。
次の三叉路、左折、直線路を進むと、左に道路が2本接続してきます。その2本の道路の股のところ、石塔石仏群がありました。
下岩橋の双体道祖神など石塔石仏群
酒々井町の標識は、「下岩橋の双体道祖神」とあります。標識の左が双体道祖神です。これらの後ろの木の向こうに庚申塔と二十三夜塔です。庚申塔の右「正徳五〓未年八月吉」。(正徳5年=1715年)
次回は、下岩橋の八社神社&大仏頂寺
次回は、下岩橋の八社神社と大仏頂寺に参ります。先ほどの直線路を左へ、すぐに右に曲がって、次の交差点で左に切り返してすぐ右に入ります。