(令和6年11月19日その2)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた酒々井町の地域探訪、墨の泉光院などの次は、墨の東伝院などに参ります。
泉光院から坂を下り、途中の地蔵堂を観た後、南の十字路まで来ました。この十字路は右折(西行)します。千葉県道77号富里酒々井線の下を潜って、すぐのところ、県道の旧道に相当する道との交差点を横断します。直後、道は右に折れて、再度左に折れる角の突き当たりに、石仏群があります。
墨の千葉県道77号高崎川右岸近くの石仏群
右の一番大きな石仏は地蔵像で、村境の地蔵像でしょうか。その左の3基は、右から、庚申塔、月待塔、地蔵像でしょうか。月待塔の左面「文化十一甲戌歳三月吉日 願主…」。(文化11年=1814年)
それでは次へ、石仏群前で反転して、南へ、写真の奥へ進みます。高崎川の橋の上から、左右両方可ですが、右の細道を選びます。次の突き当たりの右手に、東伝院(とうでんいん)の案内看板があります。ここは右折、坂を上りまして、右手に東伝院入口となります。
墨の東伝院
曹洞宗、東伝院、印旛郡酒々井町墨773番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
大師堂(番号不明)あり。
北西側入口
北西側入口は自動車も出入りできます。
掲示物
入口の左に掲示物です。これに拠れば、山号は古木山(こぼくさん)、本尊は釈迦牟尼仏、文明10年(1478年)千葉輔胤( 千葉輔胤 - Wikipedia )の創建、永正元年(1504年)再建、明治6年(1873年)第百六十番墨小学校が開校。
参道途中の石仏群
参道はすぐに右に折れますが、直後の左に石仏群です。右から順に、右端の古い石仏は、中央最上部に種字、右「奉彫刻観音尊像 宝暦十庚辰南呂吉旦」、左「講衆善女人〓」。(宝暦10年=1760年、南呂=八月)
中央の古い石仏は、
右「奉修月念佛二世安樂之所 下総 須美村〓 信男信女講建之」、左「元禄四年辛未五月吉日 東傳院現住附〓代」。(元禄4年=1691年)
左の古い石仏は、右「奉彫刻地藏菩薩尊像 正德四年甲 應鐘廿四〓」、左「地藏講同行二十有七人」。(正徳4年=1714年、応鐘=十月)
蘇峰公園
参道の右は、蘇峰公園です。公園内には徳富蘇峰( 徳富蘇峰 - Wikipedia )の詩碑があります。
不遇風雲會 悠然臥草廬 千秋報國志 著作一編書
修史偶成 蘇峰正敬
その隣に、これは何というのでしょう。
参道に戻ります。
山門
扁額は「古木山」。
道元像
山門入って左に道元像です。像の左の碑は「永平開山 希玄道元大和尚禅師」。
参道左手は墓地への入口を挟んで石塔群が続きますが、その中に六十六部供養塔がありました。
六十六部供養塔
供養塔正面の中央は「奉納大乘妙典日本六十餘州神佛」、中央下部の左右「願主 回國悟志沙彌」、右面「元文二丁巳年十月〓旦 下総〓印旛郡墨村」。(元文2年=1737年)
ここから参道をさらに進むと、左に大師堂です。
大師堂
扁額はですね、複数の御詠歌が記されているようですが、四国八十八ヶ所番付札所の御詠歌ではないようです。
本堂
扁額は「東傳院」。それでは退出します。北西側入口まで戻って道路を左へ、道が右にカーブすると、左から合流するのは、東伝院の南西側参道でした。
南西側入口
この参道に入ると、門がありました。門を確認して、反転して南西方向に進みます。
次回は、馬橋の香取神社
次回は、馬橋の香取神社に参ります。