印西大師・印西地区の大師堂巡拝 続・長楽寺、序に大森の鳥見神社

(令和5年4月17日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、本日は、先日の最後に参った大森の長楽寺(8番&43番)の続きから始めます。
印西市和泉地区の東側から坂を下り、鹿黒地区の北側の田圃のなかを進みます。亀成川に架かる花輪橋の南、送電線の下あたりから斜め右(東北東方向)を見ると、

鹿黒から大森長楽寺方向を望む
鹿黒から大森長楽寺方向を望む
この写真の中央、丘の上の緑が一段低くなっている所の右、緑が高く盛り上がっている所が、長楽寺でしょうか。
花輪橋を渡って、少し進んでから右折し、その緑の下の辺りで、
大森長楽寺南
大森長楽寺南
左の細い道に入ると、すぐに左手に、長楽寺山門下の階段です。

大森の長楽寺

天台宗、長楽寺、印西市大森2034番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師8番&43番。
総州六阿弥陀4番。

大森長楽寺山門下
大森長楽寺山門下
ここは登りません。元の道に戻って、丘の上に出る道を、あー、見失いまして、結局(2023年時点の)千葉県道4号に出て左に、坂を上って信号のある十字路を左折(西行)します。
その先の、上宿古墳と長楽寺への案内板のある変則十字路を、本日は直進すると、ほどなく、右手に墓地が現れます。
印西市大森の墓地前
印西市大森の墓地前
この墓地の道路に面した所に大師堂があります。

印西市大森の墓地前の大師堂

印西市大森の墓地前の大師堂
印西市大森の墓地前の大師堂
印西大師の明治初期の史料には、この辺りに、まいはたとう(前畑堂)という掛所があったようですが、この大師堂と関係するのかは不明です。なお、前畑は、この辺りの小字です。
さて、墓地を通過して西に進むと、三叉路の先に鳥居が見えてきます。
大森鳥見神社・長楽寺分岐三叉路
大森鳥見神社・長楽寺分岐三叉路
まず、この三叉路を左折すると、長楽寺に北から入ることになります。
大森長楽寺北口
大森長楽寺北口
左の案内板に拠れば、長楽寺は聖観音のお寺みたいです。本堂の本尊なのでしょうか。
長楽寺境内は前回に参ったので今日はここまでとし、戻って先の三叉路を左折すると、左手に周辺案内図がありました。
大森の周辺案内図
大森の周辺案内図
とりあえずは、この案内図にあるように、大森の鳥見神社、大森中ノ口の浅間神社に参りましょう。先ほどの鳥居が、大森の鳥見神社になります。

大森の鳥見神社

鳥見神社、印西市大森1943番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

大森鳥見神社
大森鳥見神社
参道真っ直ぐに鳥居、その先も真っ直ぐに拝殿、拝殿の向こうに本殿、鳥居の左に手水舎、鳥居の右には説明板があります。なお、ここには大師堂はありません。

説明板

大森鳥見神社説明板
大森鳥見神社説明板
これに拠れば、ご祭神は、饒速日命、御炊屋姫命、宇摩志真知命の3柱。本殿は、寛永13年(1636年)再建、文久3年(1863年)再々建。大鳥居は元禄12年(1699年)建立、手水石は嘉永2年(1849年)奉納、などとあります。

鳥居

大森鳥見神社鳥居神額
大森鳥見神社鳥居神額
大森鳥見神社鳥居柱左大森鳥見神社鳥居柱右
大森鳥見神社鳥居柱
鳥居の神額は「正一位鳥見大明神」、柱は右「奉建立天門成就之所」、左「〓元禄十二巳卯暦五月吉日」(巳卯は己卯です)とあるようです。

手水鉢

大森鳥見神社手水鉢正面
大森鳥見神社手水鉢正面
大森鳥見神社手水鉢右面
大森鳥見神社手水鉢右面
手水鉢の右面に「嘉永二」「己酉夏六月」などとあります。

石灯篭

大森鳥見神社石灯篭
大森鳥見神社石灯篭
石灯篭には「嘉永六年癸亥四月」とあります。

拝殿

大森鳥見神社拝殿
大森鳥見神社拝殿

本殿

大森鳥見神社本殿左前から
大森鳥見神社本殿左前から
大森鳥見神社本殿左後ろから
大森鳥見神社本殿左後ろから
大森鳥見神社本殿右後ろから
大森鳥見神社本殿右後ろから

次回は、中の口公民館の大師堂&中ノ口(大森)の浅間神社(89番)

次回は、中の口公民館にある大師堂を経由して、同じ中ノ口地区にある浅間神社(89番)に参ります。鳥見神社を鳥居から出て、左に切り返して坂を下ります。