(令和4年9月25日その5)
東葛印旛大師巡拝、手賀の西光院跡(86番)の次は、手賀の稲荷社(64番)に参ります。
西光院跡の前の道を、北に進みます。ちょっと民家に入りそうになって東にズレることはありますが、ほぼ北に約0.2km進んで、道が右に折れたところ、奥に興福院(75番&77番&85番)の山門が見えていますが、手前の三叉路は直進して奥の三叉路を左折します。その先で道が右に折れたところ、左の民家の塀・柵と、その先の民家の駐車場の間に左折します。すると、手賀城址の碑の先に、稲荷社の鳥居と社殿が見えます。
手賀の稲荷社
東葛印旛大師64番。
島大師63番&64番&71番を確認。
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。鳥居の先に社殿、社殿の右奥に境内社の石祠、社殿の左前に64番大師堂、社殿と大師堂の間に標識塔が4本あります。
64番大師堂
島大師63番標識塔
4本の標識塔のうち、参道側に1本だけ出ているものです。標識塔の正面「新四國六十三番」、左面「豫州吉祥寺移鷲宮」、右面「文化十酉年」とあります。(文化10年=1813年)
東葛印旛大師64番標識塔
64番大師堂の北隣、島大師63番標識塔の西隣にあります。標識塔の正面「四国六十四番豫州里〓」とあり、右面には64番の御詠歌があります。
島大師71番標識塔
東葛印旛大師64番標識塔の北隣にあります。標識塔の正面「〓四國七十一〓」、左面「讃州弥谷寺移大杉社」、右面「文化十酉年」とあるような気がします。
島大師64番標識塔
島大師71番標識塔の北隣にあります。標識塔の正面「新四國六十四番」、左面「豫州里前神寺移稲荷」、右面「文化十酉年」とあります。
境内社
右の背が高い方は「大杉神社」、左は「大鷲宮」とあります。
島大師まとめ
- 63番 大鷲宮
- 64番 稲荷社
- 71番 大杉神社
ここに来て、東葛印旛大師64番と島大師64番が、同じところにある例がでました。また、同一箇所にある複数の島大師は、今までは連番になっていましたが、ここでは71番が不連続になっています。
境内の景色
次回は、手賀の興福院(75番&77番&85番)
次回は、手賀の興福院(75番&77番&85番)に参ります。先ほど山門がみえていたところです。舗装道路まで戻って左折し、すぐ右の小さな手賀児童遊園を通って、山門の横に出ます。