東葛印旛大師巡拝 手賀の西光院跡(86番)

(令和4年9月25日その4)
東葛印旛大師巡拝、片山のヨタイ観音堂&手賀の生繁大師堂(掛所)の次は、手賀の西光院跡(86番)に参ります。
生繁大師堂の前の道を、南東側に進みます。

生繁大師堂前の道
生繁大師堂前の道
すぐに三叉路があるので、これを左折して坂を上ります。その先で道が左に折れるところ、左の角内側が西光院跡になります。
西光院跡前
西光院跡前

西光院跡

東葛印旛大師86番。
下総四郡大師86番。
千葉県の宗教法人名簿には記載がありませんが、ここの北隣の住所で次の記載があります。
真言宗豊山派、明王院、柏市手賀829番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

西光院跡
西光院跡
入口の左に86番標識塔、入ってすぐ右に手賀小学校開校跡の碑、狭い敷地の奥に86番大師堂があります。

86番標識塔

86番標識塔正面左面
86番標識塔正面左面
86番標識塔正面右面
86番標識塔正面右面
標識塔の正面「新四國八十六番」、右面「讃州志渡寺」、左面の中央「得法〓心法師菩提」、左面の左右「文化四丁卯稔六月廿二日」とあります。(文化4年=1807年)
さて、下総四郡大師の標識塔の古いものは、ほとんどが文化5年のもので、文化4年のものは珍しいのです。これは、抜け駆けみたいな感じで作られたのか、元は別の目的( 法師の供養塔 )として造られたものを再利用的に用いたのか、どちらでしょうか。なお、抜け駆け的だとすれば、たとえ内々の構想段階だとしても、文化4年には下総四郡大師が「あった」ことになります。

86番大師堂

86番大師堂
86番大師堂
あ、猫だ。
86番大師堂横の猫
86番大師堂横の猫
話を戻します。
86番御詠歌額
86番御詠歌額
86番大師像台座
86番大師像台座
台座には「文化十一甲戊年 時齊供養塔 十月吉祥日」とあります。

手賀小学校開校跡の碑

手賀小学校開校跡の碑正面
手賀小学校開校跡の碑正面
手賀小学校開校跡の碑背面
手賀小学校開校跡の碑背面
これに拠れば、(おそらくここで、)明治6年3月15日に学校が開校したようです。(明治6年=1873年) としている間に猫が増えます。
86番大師堂横の猫たち
86番大師堂横の猫たち
さてさて、西光院ですが、文政期の資料に拠れば、八幡社(13番)から二丁半、稲荷社(64番)からも二丁半の所にあって、明王院(77番)に隣接していたようです。ところが、明治の神仏分離期の絵馬によれば、明王院よりも稲荷社の近くにあったように見えます。また、86番札所は、明治末期から昭和初期にかけては、下柳戸(柳戸)の阿弥陀堂(40番)に隣接していました。それから、前述のとおり、北隣のお宅は明王院として宗教法人名簿に記載されています。
あと、86番大師堂や、その左隣の小堂は、地元猫の溜り場になっているようなので、見慣れぬ余所者は退散することにします。

次回は、手賀の稲荷社(64番)

次回は、手賀の稲荷社(64番)に参ります。西光院跡の前の道を左(北)に進みます。