東葛印旛大師&島大師巡拝 片山のヨタイ観音堂&手賀の生繁大師堂(掛所)

(令和4年9月25日その3)
東葛印旛大師巡拝、片山の南蔵院(72番)の次は、片山のヨタイ観音堂、続けて、手賀の生繁大師堂(掛所)に参ります。
南蔵院の西、石柱門を出てすぐの十字路を左折して南西方向に坂を下ります。坂下の三叉路は、

南蔵院南西坂下三叉路
南蔵院南西坂下三叉路
道なりで右へ、その三叉路から約0.15kmの地点、
ヨタイ観音堂下
ヨタイ観音堂下
右手に民家へのスロープが見えますが、その右に階段があります。これがヨタイ観音堂への参道階段になります。

ヨタイ観音堂

島大師の40番を確認。

ヨタイ観音堂参道階段
ヨタイ観音堂参道階段

島大師40番標識塔

階段の下から5、6段目のところ、右に島大師の標識塔があります。

島大師40番標識塔正面
島大師40番標識塔正面
島大師40番標識塔左面島大師40番標識塔右面
島大師40番標識塔側面
標識塔の正面「新四國〓十番」、左面「豫〓観自」、右面「文化十酉年」とあります。(文化10年=1813年) 何とか十番という番号と、伊予の札所で「観自」の文字からして、40番観自在寺の移しと推測します。観自在寺の本尊は薬師如来で、脇仏に十一面観世音菩薩がありますが、寺の名前の印象は、ここの観音堂に相応しいとも言えます。

観音堂

階段の上には、観音堂があります。

ヨタイ観音堂
ヨタイ観音堂
ヨタイ観音堂斜めから
ヨタイ観音堂斜めから

観音堂扁額

ヨタイ観音堂扁額
ヨタイ観音堂扁額
扁額の中央「奉納西國三拾三〓心願成弁所」、その左右の上部「寶暦二壬申年 四月吉日」とあります。(宝暦2年=1752年)
この観音堂は、昔の寺院僧房の跡ではなく、個人(家)の持ち物らしいのですが、雰囲気がとても良く感じました。
それでは、生繁大師堂に参ります。参道前の道路を右に進み、すぐの十字路、
ヨタイ観音堂西十字路
ヨタイ観音堂西十字路
ここを右折して坂を上ります。上がった先の三叉路で右折すると、南蔵院の西の十字路に戻りますので、これを左折して北東方向に坂を下ります。道が右に曲がった後の三叉路、
南蔵院北坂下三叉路
南蔵院北坂下三叉路
ここを左折します。その次の三叉路っぽい十字路、
生繁大師堂北十字路
生繁大師堂北十字路
右折です。( 坂を上るのではなく、その右に進む。) またちょっと進んで、道が左に曲がるところ、その左側に大師堂があります。
生繁大師堂前
生繁大師堂前

生繁大師堂

東葛印旛大師掛所。

生繁大師堂
生繁大師堂
生繁大師堂御詠歌額
生繁大師堂御詠歌額
生繁大師堂右脇石碑
生繁大師堂右脇石碑
この大師堂は、本家四国八十八ヶ所14番札所常楽寺の寫(写)しという位置づけです。

次回は、手賀の西光院跡(86番)

次回は、手賀の西光院跡(86番)に参ります。生繁大師堂の前の道を左に進みます。