(令和4年9月3日その1)
東葛印旛大師巡拝、本日のスタート地点は、またまた初富の稲荷神社(12番)からです。ここからまずは、軽井沢の中村善並大師(掛所)、続けて、薬師堂(16番)に参ります。
稲荷神社から東に、東武野田線下の参道を通って国道464号兼千葉県道8号に出て左折(北行)します。その先で、新京成線の高架と北総線の高架の間の交差点、これを右折します。それにしても、本日天気は晴れてくれません。
そのまま北総線の南の道を、東に進みまして、鎌ケ谷市制記念公園の南側の入口のところ、ここも、真直ぐ、北総線の南の、車止めがしてある道に進みます。( その右隣の道からでも行けますが、遠回りです。) 最終的には、未舗装道に突き当たります。ここは右折です。その先の突き当り、反対側に鎌ケ谷自動車学校がある所に出ますが、ここで右折して南に向くと、左手にファミリーレストランぜんなみ、右手に旧道の痕跡があるところ、旧道と現道の間に、掛所の中村善並大師があります。
中村善並大師
東葛印旛大師掛所。この建物、大師堂かと思いましたが、違うのかも。ここは、屋号を善並とする中村さんが、自家の墓所を掛所とした、と予想できます。
それでは、次の薬師堂に参ります。中村善並大師前の道を左(北)に進み、国道464号を横断し、その次の交差点(、左折すれば下総航空基地の滑走路南端に出る、)も直進します。その先でちょっとだけ下ったあとにちょっとだけ上った所の右の墓地の先が目的地なのですが、そのちょっと下る手前の左にある八幡神社に寄ってみます。
軽井沢の八幡神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
鳥居の先の参道が意外と長く、その先にまた鳥居、そして拝殿となります。拝殿の左にスペースがあり、その境内端に石塔石仏が並んでいます。
石塔石仏
この庚申塔、正面の中央「奉供養青面金剛講中爲二世安樂也」、正面左右の上部「享保十一丙午天 十月吉日」、下部「下総印番郡 軽食沃村」とあります。(享保11年=1726年)
拝殿
参道・鳥居
それでは、道路まで戻りまして左(北)を向き、この写真の左が八幡神社、写真奥の電柱の間に見える墓地の北が、薬師堂のある軽井沢自治会館です。
薬師堂 (軽井沢自治会館敷地内)
東葛印旛大師16番。敷地の北に軽井沢自治会館、その南に薬師堂、その南少し開いて16番大師堂があります。
16番大師堂
薬師堂
軽井沢自治会館から16番大師堂
さて、東葛印旛大師の16番札所は、文政期から明治の神仏分離期を過ぎても、泉の妙見社にありましたが、その後、同じ泉の竜泉院(33番)に遷座した後、大正11年(1922年)に当地に再遷座してきました。この再遷座の際の証文については、次の外部ページを参照してください。
www.city.kamagaya.chiba.jp
次回は、藤ヶ谷の薬師堂(17番)
次回は、藤ヶ谷の薬師堂(17番)に参ります。軽井沢自治会館前の道を右(北)に進みます。