(令和4年8月23日その9)
東葛印旛大師巡拝、泉の伊津美鳥見神社(28番)&切返シ古墳の次は、藤ヶ谷新田の熊野神社(47番)に参って、本日は終わりにします。
切返シ古墳から道を返して、伊津美鳥見神社の前を通り過ぎ、突き当り気味の三叉路を左折して、あとは道なりに進みます。すると、切返シ古墳から約0.65km、道が二股気味になっているところ、右側に庚申塔の群れがあります。
泉庚申塔群
これに拠れば、最も古いものは正徳元年(1711年)。みたところ、右が最古(正徳元年か)で、左へ行くほど新しいようです。一番右の庚申塔には、上から右下に「奉造立 庚申尊像 為二世安〓」、左下に「下総國南相馬和泉村同行善男子五十五人」とあります。
2番目の庚申塔には、左上に「享保十五庚戌霜月穀日」、右下と左下に「泉邑若衆同行五十人」とあります。(享保15年=1730年)
さて、ここの二股は道なり右に進み、あとも道なりで約2.0km、ようやっと信号交差点に出ます。ここは左折します。またも道なりで約0.6km、国道16号との交差点に出ます。この交差点の向こう、右側、ラーメン屋の左の緑が、熊野神社になります。交差点を横断すると右手に熊野神社です。
藤ヶ谷新田の熊野神社
熊野神社、柏市藤ケ谷新田4番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師47番。参道真直ぐに鳥居、その奥真直ぐに拝殿、鳥居前は右に社号標、左に旧沼南町設置の標柱、参道の左右に石塔石仏各種があります。なお、47番大師堂は、拝殿の左後方、広場の奥にあります。
鳥居には「熊野神社」とありますが、社号標は「熊野権現 天満宮 両神社」となっています。
旧沼南町設置の標柱
これに拠れば、享保年間に紀伊の熊野神社が分座、のちに天神社が合祀とのことです。
参道の石塔石仏各種
この庚申塔には、中央に「奉供養庚申二世安樂諸願成就所」、その左右に「正徳二壬辰歳十月吉〓」とあります。この二十三夜塔には、上部から中央下部にかけて「廿三夜普門品一万巻供養」、下部の左右に「文化元甲子 九月吉日」とあります。(文化元年=1804年)
拝殿
境内
この写真の奥の方に、47番大師堂が小さく写っています。
47番大師堂
帰宅
今日はこれまでです。本日は、東葛印旛大師の札所13か所、掛所1ヶ所、元札所4ヶ所、下総四郡大師の札所4ヶ所、下総三十三観音の札所1ヶ所に参りました。