東葛印旛大師巡拝 泉の妙見社(元16番)、序に「おせし様板碑」

(令和4年8月23日その6)
東葛印旛大師巡拝、染井入新田の日枝神社(51番)&泉の廿三夜堂(31番&70番)の次は、泉の「おせし様板碑」を見てから、妙見社(元16番)に参ります。
廿三夜堂の前にある、旧沼南町設置の標柱、

旧沼南町設置の標柱(再掲)
旧沼南町設置の標柱(再掲)
これに出てくる「おせし様板碑」、天文4年(1535年)の庚申待供養碑だそうですが、これを序に見ていきます。
廿三夜堂の前の道を左(東北東)に進み、坂を上って、左手に手賀西小学校の門がある三叉路の右側に、「おせし様板碑」があるようです。
おせし様板碑前
おせし様板碑前

おせし様板碑

おせし様板碑入口
おせし様板碑入口
入口の石段の右に説明板があります。

おせし様板碑説明板

おせし様板碑説明板
おせし様板碑説明板
これに拠れば、「おせし」とは勢至(菩薩)の事で、この板碑は柏市指定文化財です。
www.city.kashiwa.lg.jp

おせし様板碑

階段を上り、木の根を跨ぐと、

おせし様板碑
おせし様板碑
この通り、藁で飾り付けされていました。
それでは、妙見社に参ります。来た道を戻り、廿三夜堂の前を通り過ぎてそのまま西南西に直進して坂を上ります。その先の突き当り三叉路、
廿三夜堂から妙見社への道
廿三夜堂から妙見社への道
この写真の奥から来て、写真左の方へ右折します。その先の突き当り?の右手の緑が、妙見社になります。
泉妙見社前
泉妙見社前

泉の妙見社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
突き当り?の電柱の左に旧沼南町設置の標柱があり、社殿は右の緑の中です。

旧沼南町設置の標柱

旧沼南町設置の標柱
旧沼南町設置の標柱
これに拠れば、ここは戦国時代に館があった、ご祭神は妙見大明神だそうです。

境内

さて、手前の側から緑の中に入りますと、左が少し高くなっていて、そこに拝殿があります。

泉妙見社拝殿
泉妙見社拝殿
拝殿の背後には本殿があります。
泉妙見社拝殿から本殿
泉妙見社拝殿から本殿
本殿の右奥に、石碑石塔があります。
泉妙見社の石碑石塔
泉妙見社の石碑石塔
右の石碑は、「妙見社遺趾」とあります。妙見社のあった址という意味ですが。
泉妙見社の庚申塔
泉妙見社の庚申塔
この庚申塔、「享保十五庚戌天十一月日」、「妙見神木之松」、「吉祥院」などとあります。(享保15年=1730年)
さて、東葛印旛大師16番札所は、文政期から明治期の神仏分離以降も、ここ泉の妙見社にありましたが、その後、泉の竜泉院(33番)に遷座し、さらに大正11年(1922年)に(現 鎌ケ谷市)軽井沢の薬師堂に再遷座しました。現在、妙見社境内には、大師堂などの痕跡は見当たりませんでした。

次回は、泉の不動堂(元31番)

次回は、泉の不動堂(元31番)に参ります。とりあえず、来た道を戻ります。