下総四郡大師巡拝 増尾の広幡八幡宮(68番)

(令和4年8月6日その1)
東葛印旛大師巡拝、本日は、藤心の八幡神社前からスタートして、まずは増尾地区の札所に参ります。最初に立寄るのは、下総四郡大師68番札所のひとつ、広幡八幡宮です。
藤心の八幡神社から藤心陣屋跡に進んで、その先の突き当りを左折して、大津川の左岸の道を下流(北)に進みます。約0.8km弱でゴルフ場の緑にぶつかったら右折、そこから約0.4kmの三叉路を左折、する前に一旦、その先隣の三叉路を右折して、大津川に架かる橋まで行って、振り返ってみます。

大津川から増尾地区を望む
大津川から増尾地区を望む
道路の右側、写真の中央にゴルフ練習場のネットがあり、広幡八幡宮はさらに右側になりますが、ここからは直接は見えなさそうです。先程の地点に戻って、西へ曲がって坂を上ります。その途中で左側にニッカウヰスキー柏工場の裏口?が現れます。
ニッカウヰスキー柏工場裏口
ニッカウヰスキー柏工場裏口
その次の交差点を右折すると、しばらくして広幡八幡宮が見えてきます。
増尾広幡八幡宮前
増尾広幡八幡宮前

増尾の広幡八幡宮

廣幡八幡宮、柏市増尾895番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師68番。(異説あり)
鳥居から参道を真直ぐ進むと、しばらくしてから左手に八幡神社境内地払下記念碑と御創建七百七十年祭記念碑、参道の奥に拝殿、その直前右側に広幡八幡宮御鎮座八百年記念事業の碑があります。

境内参道

増尾広幡八幡宮境内参道
増尾広幡八幡宮境内参道

八幡神社境内地払下記念碑

八幡神社境内地払下記念碑
八幡神社境内地払下記念碑
八幡神社境内地払下記念碑背面碑文
八幡神社境内地払下記念碑背面碑文
碑文には、

当八幡神社境内地は従来官有地なりし処今般宗教法人令の改正に際し指令社第七四九〇号を以て昭和二十五年六月二十一日附にて国家より無償譲与を受けて社有地となせり仍て之を碑に勒して後世に伝ふるものなり

土村増尾字宮根八九五番地一境内地一〇一九坪八七勺立木共
昭和二十六年四月三日建焉

とあります。(漢字は当代風に改めた) これにより、神社の土地は昭和25年(1950年)までは国有地だった事、それが無償譲与された事、当時は八幡神社と称していた事が判ります。

御創建七百七十年祭記念碑

御創建七百七十年祭記念碑
御創建七百七十年祭記念碑
これに拠れば、社伝に「下総国第一鎮守、宇多天皇勅願所」とあり、寛平年間の創建。建久年間の癸丑の年に再び社殿を創建。(建久癸丑年=建久4年=1193年) 慶安3年、将軍家光公より御朱印10石。(慶安3年=1650年) 昭和38年を創建770年として、社名変更などを行った、(昭和38年=1963年) とあります。つまり、創建を建久4年としていること、昭和38年に( 八幡神社から広幡八幡宮に )改称したらしいことがわかります。

拝殿

増尾広幡八幡宮拝殿
増尾広幡八幡宮拝殿

広幡八幡宮御鎮座八百年記念事業の碑

増尾広幡八幡宮境内右側
増尾広幡八幡宮境内右側
この写真の右側、木の影に広幡八幡宮御鎮座八百年記念事業の碑があります。
広幡八幡宮御鎮座八百年記念事業の碑
広幡八幡宮御鎮座八百年記念事業の碑
これに拠れば、ご祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫命、玉依姫命、外二神。平成5年(1993年)を御鎮座800年としている。
さて、明治の神仏分離までは、本家四国八十八ヶ所68番札所は、琴弾八幡宮でしたから、下総四郡大師の68番札所が増尾の八幡宮にあっても変ではないです。
なお、境内に大師堂などは見当たりませんでした。

次回は、増尾の万福寺(53番&67番)

次回は、増尾の万福寺(53番&67番)に参ります。来た道を戻り、ゴルフ練習場の南東端の三叉路を右折します。