東葛印旛大師巡拝 藤心の宗寿寺(78番)&八幡神社、序に藤心陣屋跡

(令和4年7月21日その7)
東葛印旛大師巡拝、藤心の慈本寺(9番)の次は、藤心の宗寿寺(78番)に参ります。
慈本寺の参道を出て、突き当りを右、突き当りを右、突き当る前に右が宗寿寺です。

宗寿寺

真言宗豊山派、宗寿寺、柏市藤心305番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師78番。
下総四郡大師78番。

宗寿寺入口
宗寿寺入口
山号は安養山。入口から真直ぐに本堂、本堂の右前に修行大師像、本堂の左前に相対して大師堂、大師堂の左側に78番標識塔があります。

本堂・修行大師像

宗寿寺本堂・修行大師像
宗寿寺本堂・修行大師像

大師堂

78番大師堂
78番大師堂
78番御詠歌額
78番御詠歌額

78番標識塔

78番標識塔正面右面
78番標識塔正面右面
78番標識塔正面左面
78番標識塔正面左面
標識塔、正面の左右「四國讃州七十八番道場寺〓」、右面「安養山宗壽寺」、左面「皇和文化四年歳次丁卯艮烏」、台座「藤心邑檀中」とあります。(文化4年=1807年)

石碑

石碑
石碑
本堂の右にある石碑です。一部見辛いのですが、これに拠れば、院号は誓心院、仁安元年(1166年)の創立。
それでは、八幡神社に参ります。入口に戻って道路を右折し、すぐの突き当りの向こう側になります。右側の神社入口に回り込みます。

藤心の八幡神社

八幡神社、柏市藤心273番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の12番候補。

藤心八幡神社
藤心八幡神社
狭い境内で、入口から参道直ぐに拝殿、拝殿の右前に八幡神社氏子発足記念碑、本殿の右に合祀記念の碑があります。

八幡神社氏子発足記念碑

八幡神社氏子発足記念碑
八幡神社氏子発足記念碑
昭和47年(1972年)10月に氏子が発足したように読めてしまうのですが。

合祀記念の碑

合祀記念の碑
合祀記念の碑
これに拠れば、若宮八幡大神、菅原神社、駒形神社、淡嶋神社の無格社4社を、村社の八幡大神に合祀した。明治41年4月15日願出、同年7月18日許可、翌年3月29日登録。(明治41年=1908年)
東葛印旛大師の12番札所は、文政期には藤心村の八幡宮にありましたが、明治には、初富の稲荷神社(12番)に移りました。村社の八幡大神、または、無格社の若宮八幡大神が、文政期の12番札所であった可能性がありますが、確証はありませんし、痕跡も見当たりません。
それでは、次の札所、塚崎の寿量院(18番&76番)に向けて移動します。八幡神社前の道を左(東)に進み、次の三叉路、
藤心陣屋跡入口
藤心陣屋跡入口
「藤心陣屋跡」の看板に従って左折します。その藤心陣屋跡に寄り道します。

藤心陣屋跡

藤心陣屋跡
藤心陣屋跡

説明板

藤心陣屋跡説明板
藤心陣屋跡説明板
これに拠れば、陣屋跡は藤心字大宮戸270番。本多正重が元和2年(1616年)に拝領して、ここ藤心( 及び船戸 )に代官所を置いた。代官所は幕府の勘定奉行の支配下にあった。明治維新で本多家が安房に移るまで、当地は本多家の領地であった。転封の際に建物は解体されたが、門が、逆井の観音寺(69番)と名戸ヶ谷の法林寺(80番)に移された、ということです。
本多正重は、徳川家康の腹心とされる本多佐渡守正信の弟で、最終的には下総船戸1万石。その後の本多(正重)家は、いったん旗本になった後、大名に復帰し、最終的には駿河田中4万石でした。

次回は、塚崎の寿量院(18番&76番)

次回は、塚崎の寿量院(18番&76番)に参ります。藤心陣屋跡の前の道を、そのまま北に進みます。