東葛印旛大師巡拝 高柳の福寿院(27番&82番)

(令和4年7月21日その3)
東葛印旛大師巡拝、高柳の原庵堂(23番)&高野堂(39番)&香取神社の次は、高柳の福寿院(27番&82番)に参ります。
香取神社南側の鳥居から、県道8号線を横断して西の細い下り坂を進み、道が左に曲がった後の突き当りを右折します。( あるいは、鳥居から県道8号線を南に進み、次の交差点を右折します。) 大津川の右岸低地の十字路に出たら、

高柳大津川右岸の無名の十字路
高柳大津川右岸の無名の十字路
この写真の右、送電線鉄塔の右の緑の中に福寿院があります。十字路は直進して、その先、左岸側の三叉路を右折、
高柳大津川左岸の無名の三叉路
高柳大津川左岸の無名の三叉路
この写真の右から来て奥へ進みます。その先の連続三叉路は、左、右と進み、あとは真直ぐで、福寿院境内・沼南幼稚園駐車場です。( 連続三叉路の最初を右で、後は左手に福寿院・幼稚園が現れるのを確認でも良い。)

福寿院

単立、福寿院、柏市高柳1366番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師27番。(観音堂)
東葛印旛大師82番。
下総四郡大師82番。
下総三十三観音25番。

福寿院入口
福寿院入口
ここを入口としますと、入口の右から順に、「高柳学校 風早南部小学校発祥ノ地」碑、六地蔵、観音堂の説明板、観音堂への進路、82番標識塔、旧沼南町設置の標柱とあり、大師堂は観音堂の右手になります。

「高柳学校 風早南部小学校発祥ノ地」碑

高柳学校碑正面右面
高柳学校碑正面右面
高柳学校碑左面背面
高柳学校碑左面背面
これに拠れば、明治6年(1873年)3月3日、福寿院境内に高柳学校が開校、高柳村・高柳村新田・塚崎村の児童を教育、明治20年には高柳の善竜寺(2番)の敷地に転出したそうです。現在の風早南部小学校の源流だそうです。

82番標識塔

82番標識塔正面左面
82番標識塔正面左面
82番標識塔右面上部82番標識塔右面下部
82番標識塔右面
標識塔の正面「四國八十二番移」、右面「文化五戊辰年九月十八日下總國高柳村」とあります。(文化5年=1808年)

旧沼南町設置の福寿院標柱

旧沼南町設置の福寿院標柱
旧沼南町設置の福寿院標柱
これに拠れば、山号は宝光山、宗派は真言宗豊山派、本尊は十一面観音菩薩で秘仏、観音堂は江戸後期の建物。

観音堂説明板

福寿院観音堂説明板
福寿院観音堂説明板
観音堂は、柏市の指定文化財だそうです。
www.city.kashiwa.lg.jp

観音堂

福寿院観音堂正面
福寿院観音堂正面
福寿院観音堂右面
福寿院観音堂右面
福寿院観音堂背面
福寿院観音堂背面
下総三十三観音の対象です。

大師堂

福寿院大師堂
福寿院大師堂
82番御詠歌額
82番御詠歌額
27番御詠歌額
27番御詠歌額
福寿院は、最初に下総四郡大師の82番札所となり、東葛印旛大師成立期には、そのまま82番を引き継ぐ一方、境内の観音堂が27番札所になったものです。

動物供養の碑

福寿院動物供養の碑背面
福寿院動物供養の碑背面
観音堂の裏手にある、動物供養の碑です。

六地蔵

福寿院六地蔵
福寿院六地蔵
ちょうどこの写真での六地蔵の向こう側から出て、次の善竜寺に参ります。

次回は、高柳の善竜寺(2番)&念仏堂跡(3番)

次回は、高柳の善竜寺(2番)、続けて、念仏堂跡(3番)に参ります。六地蔵の写真の後方の道に出て、大津川の対岸に移ります。