東葛印旛大師巡拝 初富の一文字大師堂(掛所)、序に下総小金中野牧跡(捕込)

(令和4年7月18日その1)
江戸川八十八ヶ所巡拝はひとまず終了しました。本日からは、東葛印旛大師の巡拝を始めます。本日のスタート地点は、以前に訪れた初富の稲荷神社(12番)になります。
稲荷神社の境内南側から、南西方向の表参道に進み、国道464号線兼千葉県道57号線に出たら右折して北西に進みます。しばらくすると貝柄山公園への案内看板が現れます。

国道464号線貝柄山公園への案内看板
国道464号線貝柄山公園への案内看板
しかし、今回は貝柄山公園ではなく、この写真中央の緑、コンビニの先のエリアに進みます。コンビニの隣の駐車場から左に進みますと、
小金中野牧跡の石碑と説明板
小金中野牧跡の石碑と説明板
石碑と説明板があり、その先に緑のスペースがあります。石碑のタイトルは「千葉県指定史跡 小金中野牧の込跡」、説明板のタイトルは「国指定史跡 下総小金中野牧跡(捕込)」です。

国指定史跡 下総小金中野牧跡(捕込)

www.pref.chiba.lg.jp
ここは昭和42年(1967年)に県指定史跡になった後、平成19年(2007年)に国指定史跡となった、かつての小金牧中野牧の捕込(とっこめ)跡です。

説明板

国指定史跡下総小金中野牧跡(捕込)説明板
国指定史跡下総小金中野牧跡(捕込)説明板
これに拠れば、
まず、小金牧は江戸幕府直轄の牧の一つである。小金牧は、高田台牧、上野牧、中野牧、下野牧、印西牧の五牧(小金五牧)から成る。中野牧は、現在の柏、松戸、鎌ケ谷、白井、船橋の各市域に及んでいた。
牧では、馬が放し飼い・半野生であり、野馬と呼ばれた。毎年、3歳馬(.数え年、つまりtwo-years-oldだと思うが、現代風のthree-years-oldかも知れぬ.)を捕縛して、良馬は江戸へ送られた。これを野馬捕りといった。
捕込は、野馬捕りのための設備で、現存するのは小金五牧で当地のみである。まず、馬を捕込に追い込み、江戸送りの馬や払い下げ用の馬を「溜込」に、牧に残す馬を「払込(分込)」に分けた。
また、役人が検分する場所を「御照覧場」といった。
だそうです。
「良馬は江戸へ送られ」という記述が気になります。最上の良馬は牧に残すべきなのですが。

払込(分込)跡

説明板の右から、払込(はらいごめ)、あるいは分込(わけこめ)の跡に進みます。

中野牧払込(分込)跡その1
中野牧払込(分込)跡その1
中野牧払込(分込)跡その2
中野牧払込(分込)跡その2
その先の上り階段には進めません。ですので引き返して、左折左折で回り込みます。

中野牧跡(捕込)北側

国道兼県道に出て左折した後、次の角を左折する前に、捕込跡を北側から覗けます。

中野牧跡(捕込)北側
中野牧跡(捕込)北側
やや左側が御照覧場でしょうか。

中野牧跡(捕込)南側

「次の角」を左折後、さらに次の角を左折すると、捕込跡の南側に出ます。

中野牧跡(捕込)南側
中野牧跡(捕込)南側
左側奥が捕込、左側手前が溜込(ためごめ)、右側の土手の向こうが払込(分込)になります。
中野牧跡(捕込)南側説明その1
中野牧跡(捕込)南側説明その1
中野牧跡(捕込)南側説明その2
中野牧跡(捕込)南側説明その2
それでは、国道兼県道に戻って左折し、巡拝に戻ります。国道兼県道を直進し、途中で国道464号線は左折しますが県道57号線のまま直進すると、新京成線との踏切に出ます。その直前の左側に、初富の一文字大師堂(掛所)があります。
初富一文字大師堂前
初富一文字大師堂前

初富の一文字大師堂

東葛印旛大師掛所。
掛所とは、簡単に言えば、番外の札所です。

初富一文字大師堂
初富一文字大師堂
左側のお堂が大師堂です。
初富一文字大師堂御詠歌額
初富一文字大師堂御詠歌額

石碑

初富一文字大師堂石碑正面初富一文字大師堂石碑右背面
初富一文字大師堂石碑
この石碑より、ここの大師堂は、昭和37年(1962年)の80年前、即ち、明治15年(1882年)の建立で、89番を主張している事がわかります。初富への入植開始が明治2年の秋ですから、それから13年後の事になります。

次回は、六実(六高台)の高靇神社(32番)

次回は、六実(六高台)の高靇神社(32番)に参ります。一文字大師堂から県道を少しだけ戻って左折します。