(令和4年6月13日その3)
自転車で坂東三十三観音巡拝、浅草寺(13番)の続きです。
浅草寺雷門そばの交番の横で最終確認をして、9時22分、出発です。次の目的地は慈恩寺(12番)で、浅草寺雷門前からは旧日光街道を利用します。
旧日光街道の情報源
旧日光街道のルートについては、こちらの外部サイトを参考にしました。
www.jinriki.info
旧日光街道スタート
まずは、浅草寺雷門から左(東)に雷門通りを進み、吾妻橋交差点から10時の方向で国道6号線・江戸通りに、言問橋西交差点から11時の方向で東京都道464号線に進みます。ここら辺までは、治水地形分類図更新版によれば砂州・砂丘地帯で、家康入府以前からの浅草寺の門前町であり、街道が通ってもおかしくないところです。
その先、JR常磐線を越えるところ、自転車は車道地下トンネルを通れません。旧街道にこだわるのであれば、歩道橋で越えるところですが、今回は、西側の道に迂回します。で、迂回路から都道464号線に戻るところ、左手に回向院があります。
小塚原の回向院
浄土宗、回向院、荒川区南千住5-33-13。(東京都の宗教法人名簿より)ここは、小塚原刑場に隣接してできた寺院で、刑場に関係する史跡もあります。
都道464号線に合流後はそのまま進んで、国道4号線に合流、歩道を走った後、千住大橋で隅田川を渡ります。その先の足立市場前交差点で国道4号線が緩く左カーブするところ、あくまでも直進しますと、千住宿になります。
千住宿
千住宿もまた、砂州・砂丘地帯の上にあります。
小さなものは知らないと見落とします。千住宿で目立ったのは、北千住駅前を通り過ぎてからの右手の公園、ここにある「千住宿高札場由来」の説明板、それと、その先(北)にある、横山家住宅です。
横山家住宅
これは、江戸後期の建築で、昭和初期に改修されたものです。屋号を「松屋」という地漉紙問屋で、宿場で馬を提供する(代わりに年貢を免除される)伝馬も担っていました。間口は13間、奥行は56間だそうです。
さて、千住宿の北で水戸街道と別れたあと、10時の方向に折れた日光街道は、ここで荒川(放水路)のためにいったん消滅してしまいます。その荒川に架かる千住新橋、これを左(西)側の歩道で渡り、対岸の堤防上で左折して堤防を下り、首都高速にはもちろん入らないで、次の信号で北上します。そのまま道なりに北へ直進します。
ずっと直進ですが、東京都足立区西保木間の2丁目19と3丁目9のみは、これらを左に見るように、右の道を進みます。ここから、毛長川の旧河道右岸沿いに進み、都道49号線に出て左折し、現代の小さくなった毛長川を渡ります。(毛長川は、縄文の一時期、いまでいうところの利根川(兼荒川)の河道でした。)渡れば、埼玉県道49号線となります。しばらく進むと、左に草加宿への旧道分岐点に至ります。
草加宿
草加宿は、微高地(自然堤防)地帯の上にあります。
ここで目立ったのは、藤城家住宅です。
藤城家住宅店舗・内蔵・外蔵
昭和初期の建築だそうです。
そのまま直進して、草加宿も抜けて再び県道49号線に合流し、伝右川を渡ります。その先、県道49号線と、直線的な人工河道の綾瀬川に挟まれた、草加の松原を進みます。
草加の松原
ここでしばし休憩。その後は、あくまでも綾瀬川に沿って進み、綾瀬川が少し曲がるところで、これを渡ります。渡ったらすぐ左折して直進し、みたび県道49号線に合流します。
そして、越谷市の瓦曽根ロータリー交差点で県道が右にカーブするところもあくまで直進して越ヶ谷宿に入ります。越ヶ谷宿も、微高地(自然堤防)地帯の上にあります。
このまま道なり直進で(県道52号線)、元荒川を渡り(県道325号線)、東武伊勢崎線にぶつかっても精神的には直進のつもりで行きます。県道325号線が左に逸れても直進して、東武伊勢崎線の踏切が見えたら、その手前で左折して、旧日光街道とはお別れです。
この後は、国道4号線が跨線のため坂になっているところの下を潜り、須賀川通りから中堀通り、新方川を越えたら一本左(西)の道に移ります。慈恩寺までもう少しです。
次回は、慈恩寺(12番)
次回は、慈恩寺(12番)に到着しての詳報になります。