江戸川八十八ヶ所巡拝 加村(平和台)の光照寺(27番)&西平井の焼原大師堂(62番)

(令和4年5月30日その7)
江戸川八十八ヶ所巡拝、西平井(平和台)の真城院(12番&52番)の次は、加村(平和台)の光照寺(27番)、続けて、西平井の焼原大師堂(62番)に参ります。
真城院前の道を左(北)に戻ります。加交差点の手前、少し低くなっているところ、

加交差点南側
加交差点南側
道の左(西)側が、光照寺の墓地になります。墓地に沿って左折しますと、次に道が右に折れるところ、左側が光照寺の入口になります。
光照寺入口
光照寺入口

光照寺

浄土宗、光照寺、流山市平和台5丁目387番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
江戸川八十八ヶ所27番。
江戸川八十八ヶ所7番説あり。
山号は加村山。入口の右手前に説明板、入口から境内入って真直ぐに本堂、本堂の左側に27番大師堂、入口を入って左に須藤力五郎の墓があります。

説明板

光照寺説明板
光照寺説明板
これに拠れば、山号の読みは「かむらさん」、本尊は阿弥陀如来。

本堂

光照寺本堂
光照寺本堂

27番大師堂

27番大師堂
27番大師堂
27番番号札と御詠歌額
27番番号札と御詠歌額
なお、一部資料では、かつて初代の流山橋の近くにあった7番札所常円坊(浄円坊)が、ここ光照寺に引き継がれているような記述がありますが、現地では確認できませんでした。

須藤力五郎の墓

須藤力五郎の墓
須藤力五郎の墓
左の石柱には「船戸代官 須藤力五郎首実検の地 本多紀伊守陣屋跡」、右の墓石には「碑面山岡鐵舟君賜揮毫永泉下曜寵光 慶應四辰年八月廿一日」とあります。(慶応4年=1868年) 船戸とは、当時の葛飾郡船戸村(現在の柏市船戸)の事で、本多紀伊守は、本多正訥を指すと思われます。
それでは、焼原大師堂(62番)に参ります。来た道を戻り、真城院入口も通り過ぎて、次の中交差点、
流山市の中交差点
流山市の中交差点
ここを渡ってから次の角を右折します。その先の突き当りを右折して左側に、他とは異なる祠があります。
焼原大師堂道路側
焼原大師堂道路側

焼原大師堂

流山市西平井1丁目13。
江戸川八十八ヶ所62番。

道路側の石碑

焼原大師堂道路側の石碑
焼原大師堂道路側の石碑
道路側の石碑の中央「六十二番焼原大師」、その左右「江戸川八十八ヶ所」とあります。左下には「犬塚 三十二番」と書いてあるような気がしてきました。だとすれば、隣の札所を示しているようです。

62番大師堂

大師堂は、道路に背を向けて、個人のお宅側を向いています。大師堂の本体?も、ユニークな形状です。

62番焼原大師堂
62番焼原大師堂
焼原大師堂本体
焼原大師堂本体
62番番号札
62番番号札

もうひとつの石碑

大師堂正面の左側に、別の石碑があります。

焼原大師堂もうひとつの石碑
焼原大師堂もうひとつの石碑
この石碑の中央「江戸川八十八ヶ所焼原大師〓〓」、その右「昭和九年拾〓月廿一日」、左に「六十二番」とあるようです。(昭和9年=1934年)
最後に、南側からの風景を。
焼原大師堂の風景
焼原大師堂の風景
この写真中央のアパートの手前、道路側に焼原大師堂があります。

次回は、思井の耳だれ地蔵(32番)

次回は、思井の耳だれ地蔵(32番)に参ります。来た道を戻り、中交差点の南側の、新道では無く旧道を南に進みます。