江戸川八十八ヶ所巡拝 流山の流山寺(19番&87番)

(令和4年5月19日その8)
江戸川八十八ヶ所巡拝、丹後の光福院(86番)の次は、流山の流山寺(19番&87番)に参ります。
江戸川右岸を南下して流山橋にやって来ました。

流山橋
流山橋
これを渡り、左岸に移動して北上します。しばらくして、堤防上に丹後の渡し跡の標柱が見えます。

丹後の渡し跡、初代流山橋跡

丹後の渡し跡の標柱
丹後の渡し跡の標柱
ここは江戸川渡船のひとつ、丹後の渡しがあった所です。標柱には「昭和十年の流山橋架橋で廃止」(昭和10年=1935年)とあります。その昭和10年の流山橋の痕跡が、標柱の反対側の河道に今も残っています。
初代流山橋跡
初代流山橋跡
初代流山橋橋脚
初代流山橋橋脚
さて、流山寺ですが、先程の丹後の渡しの標柱写真の、標柱の左奥に、寺の本堂と墓地が写っています。堤防を下ります。
流山寺駐車場案内
流山寺駐車場案内

流山寺

曹洞宗、流山寺、流山市流山7丁目579番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
江戸川八十八ヶ所19番&87番。
山号は洞雲山。

流山寺、堤防側から
流山寺、堤防側から
堤防側から来ると、右に墓地、左に本堂、本堂の右の道路側に大師堂が2棟、大師堂の右に入口となります。

本堂

流山寺本堂
流山寺本堂

大師堂

流山寺大師堂
流山寺大師堂
左(北)側が19番、右(南)側が87番です。その間に87番標識塔があります。
19番御詠歌額
19番御詠歌額
87番御詠歌額
87番御詠歌額
87番御詠歌額にはここ流山寺の名が記されていますが、19番の額には、本家四国八十八ヶ所19番札所の立江寺の名があります。
昭和初期の資料によれば、19番札所は流山寺近くの「庄内ヤ」となっています。

87番標識塔

87番標識塔正面右面
87番標識塔正面右面
87番標識塔正面左面
87番標識塔正面左面
標識塔の正面中央「新四國八十八ヶ所流山〓」、正面の右「第八十七番讃州長尾寺寫」、右面「〓〓七〓申十二月」とあります。(文政七甲申=文政7年=1824年、天保七丙申=天保7年=1836年)

説明板

流山寺説明板
流山寺説明板
肝心な所が読めない。

入口

流山寺入口
流山寺入口
寺の東側を南北に走る道に、寺の入口があります。こちら側からですと、入口入ってすぐ右に大師堂2棟と標識塔、入口から境内の右手に本堂となります。

次回は、流山の光明院(77番)&赤城神社

次回は、流山の光明院(77番)、続けて、赤城神社に参ります。流山寺前の道を左折(北行)します。