江戸川八十八ヶ所巡拝 横堀の御嶽神社(20番)

(令和4年5月19日その2)
江戸川八十八ヶ所巡拝、馬橋の中根寺(下総四郡大師56番)の次は、江戸川の西の札所の手始めに、横堀の御嶽神社(20番)に参ります。なお、江戸川の西の札所については、こちらの外部サイト
www.chinjuh.mydns.jp
を参考にしています。というか、だいたい後追いになってます。
上葛飾橋を渡って、三郷市鷹野の円福寺裏まで来ました。

三郷市鷹野の円福寺裏
三郷市鷹野の円福寺裏
この写真、前方が北、右(東)が円福寺の墓地、陸橋は上葛飾橋からの車道橋で、江戸川・松戸市は右(東)です。左(西)にある大場川の左岸(東岸)の道路を北に進むのが良いのですが、とりあえずは、この写真の道を北に進みます。
なお、江戸川堤防下の道路は狭い割にそこそこ交通量があるので、歩道がない部分は使いたくない。江戸川堤防上のサイクリングロードは安全ですが、堤防へのアップダウンや、堤防のゆるやかな蛇行が減点となる。大場川右岸の埼玉県道21号線は直線で、目的地も近いので便利だけれども、交通量が多くて大型車も多い。ので、大場川左岸の直線路を推奨します。
先程の道を直進し、江戸川堤防下道路に合流しそうになったら大場川左岸の道に移動して北に進みます。その先、江戸川堤防下道路が最接近するところ、
大場川横堀橋東
大場川横堀橋東
ここを直進して、次の橋に近づく頃、右手に横堀の御嶽神社が現れます。
横堀の御嶽神社前
横堀の御嶽神社前

横堀の御嶽神社

御嶽神社、三郷市新和4-617。(埼玉県の宗教法人名簿より)
江戸川八十八ヶ所20番。
新田組二十一ヶ所12番。

横堀御嶽神社
横堀御嶽神社
拝殿の右前に横堀御嶽神社由緒の説明板、本殿の右に大師堂、大師堂の左後ろに墓地整理記念碑があります。

横堀御嶽神社由緒説明板

横堀御嶽神社由緒説明板
横堀御嶽神社由緒説明板
これに拠れば、ご祭神は、日本武尊、国常五尊、稲倉魂命。もとは東福寺持ちの稲荷社だったが、明治初めに独立。昭和33年(1958年)と昭和47年に移転。なお、東福寺は明治8年(1875年)に廃寺、とのことです。

墓地整理記念碑

横堀の墓地整理記念碑
横堀の墓地整理記念碑
東福寺記念碑ともいえます。これに拠れば、東福寺は如意山宝珠院と号し、新義真言宗醍醐三宝院(原文ママ)を大本山としたが、明治6年に廃寺( 神社由緒の記述と違う。) 、本尊だった地蔵菩薩立像は三郷市の指定文化財、とのことです。なお、地蔵菩薩立像は、隣の横堀公民館にあるようです。
www.city.misato.lg.jp

20番大師堂

20番大師堂
20番大師堂
江戸川八十八ヶ所20番番号札
江戸川八十八ヶ所20番番号札
新田組二十一ヶ所12番番号札
新田組二十一ヶ所12番番号札
ここにある新田組廿壹ヶ所(二十一ヶ所)については未詳です。新田組番号札の奉納者は東京の人ですね。
さて、江戸川八十八ヶ所については、昭和初期の資料に拠れば、横堀に6番、横堀より北の大膳に20番となっていますが、実際は横堀に20番の番号札がある事は注意すべきです。

次回は、新和4丁目の稲荷神社(6番)

次回は、新和4丁目の稲荷神社(6番)に参ります。御嶽神社前の大場川沿いの道を右(北)に約0.4km進むと、右手に稲荷神社です。