(令和4年4月9日その6)
下総四郡大師の巡拝、善照寺(52番)&吉祥寺(63番)の次は、金刀比羅神社(41番関連)に参ります。
吉祥寺からJR常磐線を越えて、松戸駅の東口に出て、さらに東に進むと、イトーヨーカドー松戸店の入っている建物、プラーレ松戸に辿り着きます。これは、松戸駅側の出入口は1階(及び2階)ですが、反対側の出入口は5階にあるという、丘の斜面に建てられたビルです。現在の金刀比羅神社は、プラーレ松戸の南東に隣接する、ほぼ丘の上にあります。プラーレ松戸の中を通れば楽ですが、そうでない場合は、このプラーレ松戸の南にあるライオンズタワーの、南側の階段を上る事になります。この階段を全部上る前に、左折します。すると、金刀比羅神社が現れます。
金刀比羅神社
金刀比羅神社、松戸市松戸1142番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師41番関連。この辺りの小字である向山から、向山金刀比羅神社ともいいます。なお、大師堂はもとより、境内社や賽銭箱も見当たりませんでした。
中坂稲荷について
下総四郡大師41番。
さて、下総四郡大師の41番札所である中坂稲荷ですが、詳しい事はわかっていません。ここでは、松戸史談第38号で末満宗治氏が記した、松戸の稲荷社の候補の中から、ここ向山の金刀比羅神社の境内社に比定する説に従っています。
以下は雑多な私見です。
中坂について
中坂については、関宿通多功道見取絵図の松戸宿において、小根本邑から相模台への途中に中坂という記述がある。江戸時代の絵図なので、写実的な正確性は無いゆえ、これが、松戸向山と一致するかは不明だが、相模台に至る途中で、松戸宿から見える側という事は間違い無さそう。
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向山の八十八ヶ所について
昔、向山には、ミニ八十八ヶ所があった。これは、ここに下総四郡大師の札所である中坂稲荷があったからというよりも、八十八ヶ所と縁の深い金刀比羅社があったからこそ、成立したと思われる。
梶原石五郎氏の納経帳(村上昭彦氏編集)について
梶原氏の納経帳では、41番札所を、明治40年(1907年)分では「昔古不詳金秋院」、明治44年分では「中秋院」としている。何故、中坂稲荷と書かなかったのか不思議である。なお、向山の金刀比羅社は、修験金秋院なる者が最初に祀ったという。梶原氏は、稲荷社を発見できなかったのではないだろうか。
向山寺について
向山のミニ八十八ヶ所の終点付近に、向山寺という尼寺が、かつて存在していた。松戸史談第38号の引く文化ホール紀要によれば、向山寺境内に、昭和12年8月付の下総国新四国八十八ヶ所41番標識塔が存在したようだ。この標識塔は、宝蔵院(62番)や円慶寺(60番)に現存するものと同系統なのだろう。この標識塔の奉納者は、向山寺を41番札所と見做していた可能性がある。
なお、向山寺は、つくば市に転出している。
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帰宅
今日は、マイルのG2が2戦あるので、ここまでといたしました。本日は、旧松戸宿、旧根本村の、札所6ヶ所に参りました。