(令和4年3月20日その2)
下総四郡大師と葛飾大師の巡拝、大師堂(葛飾大師62番)&藤原観音堂(葛飾大師84番?)の次は、宝珠院(下総四郡大師46番、葛飾大師46番)、続いて、国分寺(下総四郡大師59番、葛飾大師41番&59番)です。
藤原観音堂からの道程は端折りまして、いきなり国道298号線・千葉県道264号線市川北IC南交差点に飛びます。この交差点の西側(丘側)の、写真の中央、真西の小道に進みます。突き当りの三叉路、この左側が宝珠院、突き当りの壁の向こうが国分寺です。三叉路を左折します。
宝珠院
真言宗豊山派、宝珠院、市川市国分2丁目24番11号。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師46番。
葛飾大師46番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)入口右に46番標識塔があります。
46番標識塔
標識塔の左面「四圀霊跡第四拾六番豫州浄瑠璃寺冩」、右面「文化四丁卯年冬十二月玉王山宝珠院」とあります。(文化4年=1807年) なお、本家四国八十八ヶ所46番浄瑠璃寺の山号院号は医王山養珠院でして、こちらの玉王山宝珠院とよく似ています。
境内
境内は狭いですね。本尊は薬師如来で、これは浄瑠璃寺と同じです。なお、大師堂は見当たりません。
それでは、隣の国分寺に参ります。
国分寺
真言宗豊山派、國分寺、市川市国分3丁目20番1号。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師59番。
葛飾大師41番&59番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)
下総三十三観音番外。
説明板3枚
3枚の説明板について、まず、南大門の右前、自動車の出入り口の南側に、史跡下総国分僧寺跡の説明板があります。次に、南大門の左に、その南大門の説明板があります。国分寺の略歴についても触れています。最後に、南大門の右に、創建時の伽藍配置図があります。ここの国分寺は、奈良時代に全国に創られた国分寺の後裔です。明治22年(1889年)に国分山国分寺と改称する前は、国分山金光明寺と称していました。おおもとの下総国分寺跡としては、国指定史跡です。
www.city.ichikawa.lg.jp
南大門(仁王門)
境内
南大門からの参道の先に本堂が、参道途中左の宝篋印塔の左奥に59番標識塔があります。こちらも、大師堂は見当たりません。
本堂
59番標識塔
標識塔の正面「准四國霊場」、左面「豫州國分寺冩」、背面「下総葛飾郡圀分邑金光明寺」、右面「文化〓四丁卯歳〓十二月」とあります。(文化4年=1807年) ここが伊予の国分寺の写しに選ばれた理由は、ここも国分寺だからでしょう。
次回は、竜珠院(50番or44番)
次回は、竜珠院(下総四郡大師50番、葛飾大師44番)に参ります。来た道を戻り、宝珠院の三叉路を右折(東行)します。
更新履歴
2022年4月9日18時30分、初版公開
2022年4月9日18時40分頃、「千葉文華41号より」→「千葉文華41号より)」