(令和4年3月12日その3)
下総四郡大師と葛飾大師の巡拝、福泉寺&安養寺(下総四郡大師38番、葛飾大師38番)の次は、了極寺(葛飾大師24番)、続いて、双輪寺(葛飾大師43番&45番)です。
安養寺北側の、自動車の出入口を出て、右に了極寺です。
了極寺
浄土宗、了極寺、市川市高谷2丁目16番4号。(千葉県の宗教法人名簿より)
葛飾大師24番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)
行徳三十三観音11番。大師堂は見当たりません。墓地を除けば、境内は狭いです。
それでは、次の双輪寺に参ります。了極寺の参道を西に戻って、そのまま西に進みます。近年にできた国道298号線に出たら、右折します。しばらく国道沿いに進み、田尻5丁目北交差点を左折します。その先、江戸川の土手には上がらずに右の小道に入ります。この道は途中から二輪・自転車を除く一方通行の「逆走」になります。しばらくして、土手上からの道との合流点に出ますので、これを右折し、土手から離れます。そこから約0.1kmで左側に双輪寺です。
双輪寺
新義真言宗、雙輪寺、市川市稲荷木3丁目10番2号。(千葉県の宗教法人名簿より)
双輪寺は、福王寺と竜厳寺が合併した寺のようです。
旧福王寺
葛飾大師45番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)
行徳二十一箇霊場18番。
行徳三十三観音10番。
福王寺は、現双輪寺の地にあったようです。
旧竜厳寺
葛飾大師43番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)
行徳二十一箇霊場19番。
行徳三十三観音9番。
竜厳寺は、河原地区(現 市川市河原か)にあったようです。入口から参道を進むと、左に駐車場、参道途中に山門、その先、左に墓地、右に観音堂や大師堂、参道奥に本堂となります。
45番標識塔
山門の右前に、45番標識塔があります。標識塔の正面右「准四國四拾五番」、台座「雙輪寺」、左面「五穀成就萬民豊樂」、右面「天下泰平風雨順時」、背面「明治三十年四月吉日」とあります。(明治30年=1897年)
本堂など
大師堂
この御詠歌額は、堀江・猫実(現 浦安市)の大師講の人々が奉納したものです。なお、通常の43番、45番の御詠歌ではありません。
次回は、神明寺(37番)
さて、江戸川(放水路)の近くに居る訳ですが、放水路の南西側には、下総四郡大師の札所はありません。葛飾大師の札所はあるのですが、どうも、こちら側(北東側)と比較すると、放水路の向こう側では葛飾大師は早くに衰退した様です。と、そんな事を思いつつ。
次回は、神明寺(37番)に参ります。双輪寺前の道を左折(北行)します。