(令和4年2月18日その3)
下総四郡大師と葛飾大師の巡拝、慈眼寺(下総四郡大師24番)の次は、葛飾大師の円蔵院(72番)と覚王寺(1番&75番)です。
慈眼寺から、国道14号を船橋市街方向に進み、京成本線谷津駅前・船橋競馬場駅前を過ぎて、海老川を渡ります。川から約170mの交差点、この写真は少し通り過ぎてからの撮影ですが、ここを(北行、写真の左方向に)右折します。ほどなく、右手に円蔵院です。なお、この道の突き当りの黄色いのは、覚王寺第二墓地南側の壁になります。
円蔵院
真言宗豊山派、円蔵院、船橋市本町3丁目21番9号。(千葉県の宗教法人名簿より)
葛飾大師72番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)山号は海岸山。山門すぐのお堂では地蔵尊を祀ります。境内北側に本堂があります。なお、独立した大師堂は見当たりません。
そして、円蔵院の西側の道に戻って北に進み、道が左に折れて、右に折れるところの左側が、覚王寺入口です。
覚王寺
真言宗豊山派、覚王寺、船橋市本町3丁目24番6号。(千葉県の宗教法人名簿より)
葛飾大師1番&75番。(梶原石五郎氏納経帳・村上昭彦氏編・千葉文華41号より)
難陀龍王堂説明板
第二墓地側に、難陀龍王堂の説明板があります。この時点ではなんだろうという感じです。
境内に入りますと、左側に石塔が何本か立っています。
1番&75番標識塔
入口一番近くに、1番&75番標識塔があります。標識塔の正面「弘法大師准四國 第壹番阿波霊山寺 第七拾五番讃岐善通寺 冩」、右面「明治三十年五月造立之」、左面「覺王寺」とあります。(明治30年=1897年) 1番霊山寺と75番善通寺は、本家四国八十八ヶ所で最も有名有力な札所ですから、その両者の写し札所になるという事の重みも感じられます。一方で、その覚王寺が下総四郡大師に選ばれず、江戸時代の寺院序列での覚王寺の末寺が複数、下総四郡大師の札所になったのは不思議な気がします。
六十六部供養塔
標識塔から間に石碑を一つ挟んで、六十六部供養塔があります。供養塔正面中央「奉納大乘妙典日本回國諸願成就」、その左右「天下泰平日月清明」、右面「寛政三辛亥十一月吉日」とあります。(寛政3年=1791年)
境内
入口からまっすぐ進んで、振り返った所です。振り返った写真の、左側に本堂があり、本堂の右前に大師堂やミニ四国八十八ヶ所があります。難陀龍王堂は、撮影者の右手側です。
本堂
大師堂
ミニ四国八十八ヶ所
難陀龍王堂
先に挙げた説明版によれば、嘉永3年(1850年)の再建で、船橋市の指定文化財です。
www.city.funabashi.lg.jp
古い標識塔
難陀龍王堂の右に、古い標識塔があります。標識塔の正面「弘法大師准」までで、これより下は完全に剥落しています。
次回は、不動院(9番&28番)
次回はまず、不動院(下総四郡大師28番、葛飾大師9番&28番)に参ります。その後、近隣の葛飾大師札所にも参ります。