吉橋組大師巡拝 薬師寺(88番)

(令和4年1月31日その7)
吉橋組大師巡拝、三山新田弁天社(77番)の次は、薬師寺(88番)です。
弁財天の鳥居を出て右に進み、次の交差点を右折、そこから、鉄道連隊線路跡(と隣接)の道を、京成本線大久保駅の(西)北側改札近くの交差点まで進みました。

京成本線大久保駅西北側交差点
京成本線大久保駅西北側交差点
ここを右折します。しばらくすると左手に薬師寺が現れます。
左手に薬師寺
左手に薬師寺

薬師寺

真言宗豊山派、薬師寺、習志野市大久保1丁目17番14号。(千葉県の宗教法人名簿より)
吉橋組大師88番。

薬師寺入口
薬師寺入口
入口を入って山門の前、右側に薬師寺縁起を記した説明板があります。
薬師寺縁起
薬師寺縁起
これによれば、

  • 河内国の市角頼母が、大坂の陣で敗れ、一族郎党を連れて当地に至り、帰農して名主となった。
  • 頼母は長子に、持仏の福寿薬師如来を当所に祀らせた。
  • 頼母の長女は、河内の誉田八幡宮の分神を当地に祀った。
  • (説明板の半分以上は、習志野の陸軍の話ですが、省略。)
  • 昭和17年(1942年)7月1日、習雲山瑠璃光院薬師寺を設立。

との事です。当地の八幡神とは、この近くの誉田八幡神社の事です。

六地蔵

縁起説明板の参道反対側に、古い六地蔵があります。

薬師寺の六地蔵
薬師寺の六地蔵

山門

薬師寺山門
薬師寺山門

88番大師堂

山門の左に、88番大師堂があります。

88番大師堂
88番大師堂
88番札所は、少なくとも大正期までは、薬師堂と称されていました。薬師寺と称するようになったのは、おそらくは昭和17年(以降)と思われます。

88番標識塔

大師堂の左脇に、88番標識塔があります。

88番標識塔正面右面
88番標識塔正面右面
88番標識塔正面左面
88番標識塔正面左面
標識塔正面「新四國八十八番讃州大窪寺冩」、右面「明治丗七年」、左面「四月吉日」とあります。(明治37年=1904年)

次回は、東漸寺(25番)

次回は、東漸寺(25番)です。この記事冒頭の交差点まで戻り、そこを右折します。