吉橋組大師巡拝 三山新田弁天社(77番)

(令和4年1月31日その6)
吉橋組大師巡拝、神宮寺(13番&74番)の次は、三山新田弁天社(77番)です。
神宮寺前の三叉路を左(南東)に、二宮神社から離れる方向に進みます。道なり直進で、ちょっとだけ右折して左折したら、右手に弁天社の鳥居が現れます。

三山新田弁天社入口
三山新田弁天社入口

三山新田弁天社

船橋市三山8丁目43-8。
吉橋組大師77番。

三山新田弁天社鳥居
三山新田弁天社鳥居
鳥居を入って、右に社殿が、斜め左に77番大師堂があります。

弁財天の由来

三山新田弁天社説明板
三山新田弁天社説明板
この説明板によれば、

  • 当地は、行徳湊村の青山久左衛門が延宝年間の1680年頃に開墾したもので、今湊新田と称した。
  • 弁財天は、もとは青山久左衛門が建立した行徳湊村の善照寺に祀られていた。
  • 弁財天は、文化6年(1809年)に当地に渡り、元治元年(1864年)に当地の鎮守となった。
  • 弁財天は、弘法大師御作とされていた。
  • 昭和15年(1940年)焼失、翌年再建。

ということです。
なお、行徳湊村は、現在の市川市湊です。また、当地は、明治後期から戦前期の地図では、三山新田と表記されています。

77番大師堂

77番大師堂
77番大師堂
77番御詠歌額
77番御詠歌額
御詠歌額には、薬師堂とあります。77番札所は、大正期までは三山新田では無く、三山の神宮寺の近くにあって、御詠歌額の年月から少なくとも昭和11年(1936年)までは、薬師堂と称されていました。当地に移転したのは、おそらくは昭和15年の弁財天焼失よりも後ではないでしょうか。

次回は、薬師寺(88番)

次回は、薬師寺(88番)です。
弁財天の鳥居を出て右に進み、次の交差点を右折します。ここから、鉄道連隊線路跡(と隣接)の道を、京成本線大久保駅前の交差点まで進みます。