(令和4年1月31日その2)
吉橋組大師巡拝、光明寺(14番&81番)&地蔵堂(82番)の次は、金比羅社(85番)、続けて、倶利伽羅不動(45番)です。
光明寺から地蔵堂への道をそのまま進んで、通りに出たら右折し、あとは道なりで約0.9kmで左手に金比羅神社(金比羅社)が現れます。
金比羅神社
単立、金比羅神社、船橋市七林町436番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
吉橋組大師85番。
七林町436番地って、そこそこ広くて、その東南端に神社があります。神社の敷地は細長く、その奥に社殿があり、社殿の左手前に85番大師堂があります。
85番大師堂
85番札所は、大正期までは飯山満地区にありました。
それでは、次の倶梨迦羅(倶利伽羅)不動へ参ります。神社までの道を逆(西)に約220m戻って、交差点を左折します。交差点から新京成線薬園台駅までの直線路のほぼ中間右手に、倶梨迦羅不動があります。
倶梨迦羅不動
吉橋組大師45番。
先程の道路の右(西)が谷状になっています。そこを下りてみます。なるほどここは、光明寺の境外地なのですね。そして、この池は、海老川の支流である前原川の水源の様です。階段の上に移動します。階段から見て、右側に不動堂らしき建物が、左側に45番大師堂があります。
45番大師堂
45番標識塔
大師堂から更に左に進むと、道路に出る所の左に、45番標識塔があります。標識塔正面「新四國八拾八箇所第四十五番豫州岩屋寺摸」、右面「天保三壬辰十一月廿一日上飯山満村」とあります。(天保三年=1832年) 台座は「不動堂」で良いのでしょうか。
次回は高憧庵庵坊(41番)
次回は、高憧庵(41番)です。倶梨迦羅不動の前の道を右(南)に進み、新京成線の踏切を渡ります。