吉橋組大師巡拝 二和の星影神社稲荷社(33番&42番)

(令和4年1月20日その5)
吉橋組大師巡拝、八幡社(43番)&清長庵(31番)の次は、二和の星影神社稲荷社(33番&42番)です。
清長庵を出て右(北東)に木下街道千葉県道59号線を約0.35km進みます。交差点を右折して(鉄道連隊線路跡の)道路を約0.45km進みます。交差点を右折して直ぐ左折、そこから直進約0.65kmの後、右折します。約0.4km進んで道なり左折後、約0.1km進んで道なりに右折すると、左手に星影神社が現れます。

星影神社

星影神社、船橋市二和西3丁目6番43号。(千葉県の宗教法人名簿より)
吉橋組大師33番&42番。
もうちょっと進んで、神社の南側から写真撮影を開始します。

星影神社前
星影神社前
星影神社鳥居
星影神社鳥居
正月の飾りが残っています。
星影神社拝殿
星影神社拝殿
狛犬が狐なので、稲荷神社の系統だとわかります。

33番大師堂と42番大師堂

33番と42番の両大師堂は、境内入ってすぐ右手にあります。

33番&42番大師堂
33番&42番大師堂
42番札所は、天保期・慶応期には古和釜村の八王子宮に、明治期には吉橋の弁天社などにありました。古和釜の東光寺(9番&23番)に、42番の標識塔が残っています。当地には大正末までに移ったとされます。
33番札所は、元々は船橋本宿の専蔵寺地蔵堂にあったものが、いったん船橋の西福寺(38番)に移った後、昭和44年に当地に移ったものです。大正期の資料では、船橋の33番は、吉橋の虚空蔵堂(33番)の写しとされています。

二和開墾百年記念碑

境内中ほど参道右手に、二和開墾百年記念碑があります。

二和開墾百年記念碑
二和開墾百年記念碑
碑文前半部の要約は、

  • 明治新政府は、浪人や失業者を救うために、幕府の「軍馬の放牧地(小金牧)の入植開墾事業」を行った。
  • 当地の開墾は、「他の十数ヶ所と」同時期の明治2年(1869年)11月に開始された。
  • 当地は、「初富に次ぎ二番目の開拓地として和合富民の郷土となさん事を祈念して二和と命名」された。
  • 当地の繁栄のために星影神社をお祭りした。

などです。碑文は、2種類の文体が混ざっています。

帰宅

このすぐ近くに御滝山(37番)があるのですが、そこは境内も広いので、今日はここまでとします。本日は、旧行々林村、白井市、旧八木ヶ谷村、鎌ケ谷市、旧二和村にある札所10ヶ所をお参りしました。